琴奨菊優勝

 今年の初場所琴奨菊が優勝し、十年ぶりに日本の力士が優勝した。優勝が決まる前から日本人力士、日本人、日本人と騒がれ、琴奨菊にも無用のプレッシャーがかかったことであろう。日本人力士が優勝して相撲の人気がますます盛んになるだろうとして、朝日の川柳にもあったが、まるでノーベル賞でも貰ったかのような?騒ぎようである。

 琴奨菊の優勝はおめでたいことである。膝の故障から大関陥落を繰り返しながらも、努力を続けた結果で賞賛に値する。またこれまで上位陣の多くをモンゴルその他の外国勢に占められて日本人力士の不甲斐なさが目についていたが、久しぶりで日本人の力士が優勝したことも喜ばしいことである。

 しかし、ここ十年以上にもわたって大相撲の人気を支えてきたモンゴル勢への感謝を忘れてはならない。現在の白鵬日馬富士鶴竜の三横綱朝青龍その他のモンゴル勢があってこそ相撲が続けてこられたのである。

 神事から発展してきた相撲もスポーツ面を表に出し、既に外国勢にも門戸を広げた以上は、もう後戻りはできない。神事などの仕来りを残すとしても、スポーツとしての面を主にしなければ将来の発展は望めないであろうし、そうなれば日本の伝統だとか仕来りにあまりこだわりすぎずに、外国力士に対しても暮らしやすい環境の整備をし、平等に対応しなければならない。

 誰が優勝しようが同じで、あまり日本人だとかモンゴル人だとかに拘るべきではない。個人の勝負であり、国の勝負ではない。日本に住んで日本で相撲を取っている外国の力士には日本人と同じように対応すべきである。

 朝青龍の場合には、文化の違い、考え方の違いがあり、折り合いがつかず結局モンゴルへ帰らざるをえなかったし、白鵬に対しても時に影からの批判があったりして、何か嫌な思いをさせているようである。

 その根本にあるのが、若者のKYの記号でもわかる、未だに残る日本の村社会であり、大勢順応主義であり、それが日本人力士と外国人力士を区別して見ることに繋がっている。モンゴルの力士など外見では日本人と区別し難いし、皆努力して日本語もうまく、日本に同化できるように努力しているし、日本人力士と区別する必要はないのではないか。

 私の推測に過ぎないが、白鵬はよくできた人で、今度の場所でも後半になってマスコミなどが日本人力士の優勝をあまりにも騒ぎ立てるので、密かにそれに逆らわないように配慮したのではないかとも思っている。

 前人未到の好成績を達成した白鵬やその他のモンゴル勢の貢献はもっと称えるべきであり、力士の数も多いのだから、東京場所を一回減らし、モンゴル場所を一回設けた方が良いのではとさえ思う。

 琴奨菊の今回の優勝の関しての日本人力士、日本人力士と騒ぎ過ぎるのを見て嫌な違和感を感じたのは私だけではあるまい。