冬の美ヶ原

 齢をとると寒さが身にこたえる。若いときよりも寒がりになり、寒い日にはとかく出かけるのも億劫になる。

 そこへ女房から美ヶ原に置かないかとお声がかかる。どこから聞いてきたのか美ヶ原の頂上にある王ケ頭ホテルへ行きたいと言い出す。美ヶ原といえばもう半世紀ばかり以前、まだ若かった頃に夏に行って素晴らしい景色や花に魅せられた思い出がある場所である。久し振りなので気候の良い頃なら喜んで行くところだが、なぜまたこの冬の寒い時にわざわざ余計に寒い山の上まで行かねばならないのかと躊躇したが、女房の希望が強いので同行することにした。

 バス旅行で朝、梅田を出発、名神から中央道を経て松本に到り、松本の東の近郊にあるワイナリーでホテルのマイクロバスに乗り替えて山頂のホテルに向かった。

 ホテルは2030米の山頂にあるので約1400米を90分かけて登ることになる。今年は暖冬で雪が少ないので下の方はまだ雪がなかったが、約15分もすると雪の斜面に入って行く。途中までは県道だがそれが終わると舗装もない急で狭い九十九折の雪道になる。狭い雪道で車は揺れるし窓から見ると外は千仞の谷、雪に覆われた崖に黒い唐松の林だけ。それが1時間以上も続く。こんな狭い急な雪道をバスで大丈夫かな、こんな怖い所へわざわざ来ない方が良かったのではと少し心配になる。

 しかし頂上近くになっていつの間にか辺りに唐松の霧氷がずっと見られるようになると思わずそれに魅せられて怖さも吹っ飛んでしまった。こんな夕方に霧氷が見られるとは思ってもいなかったので感激して見とれていた。

 そのうちに90分のマイクロバスの旅も終えて無事山頂のホテルに着いた。早速屋上の展望台に登って360度の展望を楽しんだ。ちょうど夕焼けの後、夕日が沈む頃で都会では見れない広大な日没の空を楽しむことが出来た。

 その後暗くなってからは満天の星座を眺める催しもあったが、早寝早起きの老人は夕食が済むと遠慮して早々に寝たしまった。

 その代わり朝はまだ真っ暗な中で目を覚まし、することがないので最上階の個人用のまだ誰もいない露天風呂を二人で独占して温まった。はじめはこんな山頂で水の乏しい所だから風呂はもっと小さく水も汚れているのではなかろうかと案じたが、循環式のようだが湯船にはどんどん新しい湯が供給されていた。水はやはり3キロ先の水源から汲み上げているということであった。

 このような山頂に来て朝を迎えては日の出を見ない手はない。ようやく明けかかった頃から宿泊客らは外のテラスに出てご来光を待っている。気温は零下12度。防寒具に身を包んで手袋をしていても指先が痛くなる。カイロを持っている人もいる。あまりの寒さに屋内に逃げ込んではまた様子を見て出てくることを繰り返している。

 しかし、空はもう明るくなっているのに朝日は仲々上がって来ない。ただ明るくなってくるにつれて素晴らしい景色が広がっていく。兎に角「天空のホテル」と言われるだけあって遮るもののない360度のパノラマの景色はそう何処ででも見られるものではない。

 東は遥かに遠く煙を上げる浅間山を中心に群馬あたりの山々まで見え、そこから南に目をやると幾らか近いので余計に黒く見える八ヶ岳の峰々や蓼しな山が続く。そしてその山脈が切れたところに富士山が優雅な姿を見せてくれ、その右には北岳をはじめとする南アルプス山脈が連なっている。

 そこから更に右へ首を巡らすと木曽駒や御嶽山が見え、それを越えるて西から北の方に向くと、今度は常念岳穂高、更にもっと北の方まで雪を頂いた北アルプスの山々が延々と続いているのが見渡せる。こんな景色はこれまで見たことがない。美ヶ原には昔間違いなく来ているは筈だが、こんな見晴らしの記憶はない。これを見ただけで寒さを冒してここまで来た甲斐も十分あったというものである。雄大な自然の景色はいつまで見ていても飽きない。

 そのうちに長い間待っていた朝日がようやく上がってきた。日の出は確かにある種の感激をもたらすものであるが、すでに明るくなって待ち焦がれるぐらいの時間が経っていたし、360度の景観のために返って地平線が比較的水平に近い関係もあって、昔見た山頂での御来光の神々しさはなく少しがっかりさせられた。

 その代わりに日の出を見てすぐ後に寒さに震え慌てて入ったホテルのガラス窓に見た氷の結晶が素晴らしかった。さすがに氷点下12度のことはある。平地では決して見られない窓中の結晶である。記念に何枚も写真を撮る。以前にこのような氷の結晶ばかり撮って作品んを作っていた婦人のことを思い出した。

 霧氷に、御来光、360度のパノラマ景色、その上氷の結晶とこれだけ揃えばもう寒さを冒してこの零下の山頂まで来た甲斐はあったというべきだろう。

 後の時間を雪上車でそこらを走ったり、寒い凍った雪の道を滑らぬように少しばかり散歩したりし、最後にホテルで昼食をとって山を降りた。急な斜面をまたバスで下りながら、冬の最中に年寄りがよくこんな所にまで来たものだ。それでも来ただけの値打ちは十分あったなと思ったのであった。