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通信手段の変遷

 昨年末に孫たちが来た時、孫の一人がバスを待っている間、アメリカにいるボーイフレンドとスマホで話をしていた。スマホなので相手の顔も見られるし、すぐ近くにでもいるように会話のやり取りをしている。固定料金なので時間を気にすることもなく長々と話しているので驚いた。

 便利になったものである。昔は個人がアメリカなどへ電話するのはよほど緊急を要することでもなければ考えられないことで、そんな時でも予め用意をしておいて、繋がったら要領よく用件を伝え、出来るだけ短時間で終わるようにしないと電話代も馬鹿にならなかったものである。この半世紀ばかりの間に全く隔世の感がする。

 通信手段の変遷については専門家のいろいろな歴史的検証があるだろうし、おそらくそれをまとめた本や文献もあるであろうから、詳しいことにはそちらの譲るが、ここでは私が経験したことから思い出すことをピックアップしておきたい。

 私が若い頃の通信手段といえば、直接話すのでなければ、もっぱら手紙が最も主な手段であった。簡単な用事はハガキで、長い要件や目上の人の出すなど改まったものは封書で出すのが普通であった。

 若者にとって一番大事な手紙は当然ラブレターであった。相手に何とかよく思われようと、書いては破り、破ってはまた書いて、あたりを書き潰しの便箋だらけにしてやっと書き上げ、今度はいつ頃届いて読んでくれるだろうかと気にしながら、心をときめかせながら近くのポストに投函したものだった。

 出した後も読んでくれただろうか。どう思ってくれただろうかと、次に会うまでが気が気でなかったこともあった。一所懸命に書いた時ほど片思いで後でがっかりすることが多かったのではなかろうか。

 時には手紙を書いて、そちらに行く人に託すようなこともあった。急ぐ時には速達便。特別に大事な手紙の時に書き留めや内容証明などというのは今も同じである。

 もっと急ぐ時、緊急の時などは電報を利用する方法もあったが、短文しか出来ないので利用はごく限られていた。よくあったのが 「ハハキトクスグカエレ」というような電文。長くなると値段が高くなるので、多くは定型の短文が利用された。大学入試の合格発表までは受験生は見に行けないことが多いので、行った知人に頼んで「サクラサク」などと電報で結果を知らせてもらうことがよくあった。

 また庶民の日常生活では使われなかったが、当時の仕事の上での通信手段としてはモールス記号による電信が国内だけでなく国際的にもよく使われ、そのために海底ケーブルの設置が進められた。また船舶同士の連絡には手旗信号なるものもあり、両手に旗を持って接近した船同士が連絡し合う信号であった。

 戦前から戦中にかけて軍国少年であった私もこのモールス記号や手旗信号を少し習って嬉しそうに真似をしたことを覚えている。また子供の時に何かのイベントでは昔ながらの狼煙が利用されたこともあった。

 電話も私の子供の頃から次第に普及しつつあったが、その頃はまだ電話のある家は都会でも半数?ぐらいのもので、「呼び出し電話」として電話のある家を利用している人も多かった。近くの家の電話番号をを「呼び出し」として自分の名刺に書いている人さえいた。

 その為かどうか知らないが、当時は電話は玄関に備え付けられているのが普通であった。電話をかけるのに電話のある家に行って借りたり、呼び出し電話のために電話のある家の人が電話のかかってきた人の家まで呼びの行かねばならないようなこともあった。

 そのうちに電話が普及するにつれて呼び出し電話も少なくなり、電話は寒い玄関口から応接間に置かれるようになり、さらにはもはやステイタスシンボルの価値も失って食堂や居間の近くにあるのが普通になっていった。

 その頃の電話機は大抵壁に取り付けられており、四角い箱の正面に話し口があり、横にハンドルとコードにつながった受話器があった。なぜか電話をかける大人がハンドルを一所懸命に回しては「もしもし、聞こえますか、聞こえますか」などと繰り返していたのが私の子供の頃の印象である。

 当時はまだ通信事情も悪く電話をかけても雑音が入ることも多く、ことに外国との通話などとなると酷いもので、始終ザーザーと雑音が入って聞こえにくく「聞こえますか?・・・ザーザー・・・聞こえますか?・・・・」といった調子で、会話もなかなか困難なのが普通であった。 

 電話が普及しほとんどの家庭に電話があるようになり、皆が自由に使えるようになり、公的書類などに住所とともに電話番号を書くのが普通になったのはまだ戦後の高度成長期が進んだ頃からに過ぎない。

 その頃から公衆電話も普及しだし、街の公衆電話に人が並ぶようになった。十円玉しか使えず、一つ入れるごとに通話時間が決まるので、長電話をするためには十円玉を沢山用意する必要があった。電話をかけているうちに手持ちの十円玉が底をついてきて 「もう切れますから・・・また掛け直します」と相手に断っている声がよく聞かれたものであった。切れたらすぐ近くの売店に行って十円玉の両替をしてもらってかけ直すわけである。

 公衆電話で一番困ったことは女の長電話であった。こちらが急いでいるときに限って先に電話をかけている女の電話はなかなか終わらない。「それではよろしく、またね」などと言っているので「やれやれやっとすむのか」と思っていると、また長々と話し出し一向に終わらない」イライラするようなことがよくあった。

 そのうちに公衆電話が多くなってどこにでもあり、行列しなくても良くなり、テレホンカードなどが出回るようになった。いちいち小銭を用意する必要がなくなり便利になった。

 しかしその後、テレホンカードが安易な贈答品や記念品として使われることが流行りだし、電話をかけるよりもらうカードの方が多くなり、余分なカードの処理の困った頃には携帯電話が流行りだして公衆電話が減り、テレホンカードを使う機会もなくなって、捨てるに捨てられず机の引き代に死蔵されたまま日の目を見ることもなくなってしまった。

 そのうちにいつしか携帯電話の時代になった。携帯電話といえば まだ流行らぬ初めの頃には、道を歩いていたら突然何か大きな声で喋り出す人がいて、気が狂れた人なのかと思って振り返ったりしたことがあったものだが、そにうちにあっちでもこっちでも電話で話す声が聞こえたり、会議の途中でやかましい呼び出し音が鳴り出し慌てて飛び出す人が見られるようになってきた。

 初めのうちは携帯電話がなくてもさして困ることもないので持たないでいたが、そのうちに公衆電話がどんどん減って外から電話をするのに公衆電話を探しまわらなければならなくなり、仕方がないので携帯電話を購入した。

 それでも携帯電話は外出時に電話機能を使うぐらいで、家に帰ったら置きっぱなし、外でも鞄に入れっぱなし、マナーモードを戻すのを忘れていたり、電池が切れていたりすることもあって、電話をかけても出ないので肝心の時にさっぱり役に立たないと叱られたりもした。

 携帯電話にはいろいろな機能が付いているが、私は電話機能以外はまず使わない。電話番号でカナ文字入力をするのが嫌で、メールはパソコンやタブレットでしかしない。しかし時代は急速に移り携帯電話もケイタイと言うようになったと思っていたら、いつの間にかもう普通の携帯電話はガラケイなどと蔑まれるようになり、今やスマホ全盛の時代になってしまった。ほとんどの人がスマホを使っている。

 電車に乗ってももう夕刊や本を読んでいる人をほとんど見かけなくなった。ほとんどの人が黙ってスマホと向き合っている。皆うつむいて黙って何を見ているのかと思ったらどうもゲームをしている人が一番多いとか。一頃は電車の中でマンガ雑誌を読む大人に驚かされたが、何か異様な光景にさえ感じられる。この先どうなっていくのか不安がよぎる。

 それでもスマホが便利なことは確かである。何人かで話をしていて何か疑問な点が生じたような時、昔だったら家に帰ってから何かで調べるより仕方がなかったが、今ではその場でスマホを開いてグーグルで検索すればたちどころの解決する。

 馴染みの薄い地域でも行きたい場所はナビですぐ教えてくれるし、道に迷っても今自分がどこのいるかすぐわかる。食べるところも教えてくれるし電車やバスの時刻表も直ぐ分かる。これだけ便利になるともう利用しない手はない。複雑な使い方はわからなくとも使える範囲で利用しないと勿体ない。

 それでも若い人のように始終利用するわけではないのでもう少し待って安くなってからにした方が得かななどと迷っているのが現状である。

 私が若い時にも昔と比べて生活のすべての面で便利になったものだと感心したのだったが、それから半世紀も経つ間にさらに世の中は目まぐるしく変わり、とどまるところを知らないようである。

 ただ生活は便利になっても、人の生活の生きやすさとか生活の基となる社会の体制などはあい変わらずで、今また戦前への逆コースさえ感じられる。便利さも良いが、技術の進歩よりやはり細やかでも良いから幸福につながる世の中に変化していって欲しいものである。