お風呂の話

  先日ある喫茶店で隣席の家族連れが喋っているのを聞いて昔の「お風呂」を思い出した。風呂についての話をしており、詳しいことはわからなかったが、なんでも家族が入浴を済ませた後、浴槽の湯を抜かないでそのままにしていたようである。その翌日か、もう少したっていたのかわからないが、どこかから家族ぐるみで帰ってきて、疲れたので風呂に入ろうとと思って浴槽に湯が残っていることに気づき、それを捨ててまた水を満たして沸かすのも面倒なのでそのまま沸かしたのだそうだ。

 ところがいざ入ろうと思って風呂の蓋を開けてみると湯は濁り何か臭い匂いがする。これでは入れないということで、結局、折角沸かしたお湯を全部捨てて新しい水に変えて沸かしなおしたということらしかった。

 人が使った後の風呂の湯を放置すれば栄養分は高いし、水分は十分だし、温度も高いので細菌が繁殖するのにもってこいの条件が揃うことになる。それをまた40度近くまで沸かすのだから細菌ばかりでなく、いろいろな他の微生物も増えるだろうし、人の垢やゴミ、微生物の排泄物や死骸など、種々のもので満ち溢れていたことだろう。嫌な匂いがしても当然であろう。

 しかし話を聞いていて、久しぶりで昔の家の風呂のことなどを思い出し、何か懐かしい感じがした。昔ながらの日本式の風呂ならそういうことも十分ありうることだろうと思われた。

 風呂の蓋など日本式の風呂でなければないのではなかろうか。日本式の風呂では沸かした風呂に家族が順番に入り、その都度湯を入れ替えるようなことをしない。湯船

一杯に湯を満たし、一人一人が沸かした湯に首まで浸かって体が温まるまで入るのを繰り返すことになる。

 したがって、何人かが入るのに時間がかかり、その間に湯が冷えるので、使った後には蓋をして湯が冷めるのを防ぎ、それでもぬるくなった時には追い炊きをしてまた適温にするというのが普通である。

 昔の日本の家庭では湯が沸いたら先ずはその家の主人が入り、そのあと男の子が利用し、女は最後というのが普通であった。何人もが利用するので、一人が出たら「早く入りなさい」とか、長く入っていたら「もういい加減に出たら」と急かされたりし、外から湯加減を聞いては追い炊きをしなければならないようなことが多かった。

 そして最後に利用した者が、「お湯を落とす」と言っていたが、風呂桶を洗って湯を抜くことになっていた。しかし入浴は大抵夜だったので、家族の帰宅が遅かったりすると湯を満たしたまま置かれることもあり。朝に沸かしなおして入るようなことも見られた。その続きが初めの家族の話のようなことになるわけなのであろう。

 私の子供の頃もそんな「お風呂」であった。中産階級の普通の家では大抵は木製の湯船で大きさはおおよそ1.5米四方ぐらいで、脚を曲げてゆっくり座り首まで湯に浸かる程度の深さだった。檜を用いた少し大きめの風呂が裕福なシンボルのような存在であった。

 入浴の作法としては、初めに風呂桶で湯をすくって体を洗ってから湯船に入り、しばらくじっと首まで浸かってじっとしており、体が温まってから、一旦外へ出て石鹸を使って体を洗い、湯を汲んで石鹸などを流した後、また湯船に浸かりもう一度温まってから風呂を出るというのが普通であった。

 後から他の人も使うので湯を綺麗なままに保つためタオルなどは湯につけてはならず、湯船の中ではただじっとして体を温めるだけという作法が求められた。子供にとってはどの位の時間湯船に浸かっていて良いのかわからないので大人が「100まで数えたら出なさい」などと言って調節する姿も見られた。

 ただ、その頃はどこの家にも風呂があるわけではなく、多くの人は銭湯と言われる公衆浴場を利用するのが普通であった。手桶と石鹸、それに手拭いや下着など抱えて下駄を履いて出かけていく姿がよく見られた。銭湯はどこの町にも多く、昔は庶民はそこがある意味での社交場でもあった。

 1957年私が結婚した頃は、団地といわれる集合住宅があちこちで建てられ始めた頃で、その頃から風呂付きの居宅が普及し始めていた。しかしまだ風呂のない団地も多く、後になってベランダに簡易風呂をおく家も見られるようになった。

 私が初めて入った集合住宅では同じ階段を利用する8軒に一つづつ風呂が作られていたが、共同利用の煩わしさからどこも利用されず、住民は皆近くの銭湯を利用していた。

 公衆浴場を利用すると風呂の手入れなど世話をしなくて良いし、いつでも好きな時に行ける便利さはあるが、冬など寒い時も外を往復しなければならないのが辛い。女房が風呂へ行っている間にこちらはつい寝込んでしまい、鍵を持って出なかった女房を締め出してしまったようなこともあった。

 そんな時代もあったが、その後の高度成長時代を経て生活様式もいつしかすっかり変わってしまった。トイレが殆ど西洋式になったのと同様に、今では浴槽も洋式に近い横長で浅いプラスチック製のものが普通となり、昔ながらの和式の風呂はむしろ珍しくなってしまった。

 ただし、日本では洋式を取り入れたものの昔からの長い伝統があるので、今でもそこそこに和風の伝統が覗いているのが面白い。湯船が長く細くなっても日本式にお湯をたっぷり入れて浸かり、家族が順に入るところが多い。そのためか団地の風呂にも蓋が付いている所が多かった。

 また、日本では湯船の外で体を洗うので、公衆浴場でもシャワーは洗い場にあるものなので、家庭の風呂でもシャワーのホースは湯船ではなく、外の洗い場で使うようになっていることが多い。我が家を建てた建築屋さんもシャワーを湯船にではなく洗い場につけたので、そのままでは湯船の中では使えないのでに付け替えてもらった。

 私は若い時に2年ばかりアメリカに行っていたことがあり、その時洋式の風呂やシャワーに慣れてから日本へ帰っての最初の日本式の風呂の印象としては、風呂場が薄暗く、流し場が広いのに湯船が小さく低いところにあり深いことを再認識し、日本へ帰ったことを実感したことを今でも覚えている。

 それから2〜3年して団地に引っ越してからは今までずっと洋式の風呂に馴染んでしまった。風呂で温もるという感じより体を洗うだけという感じが強いので、洋式だと時間的にも早く済むし清潔感もあるのでいつしかそれが習慣になってしまったようだ。

 子供が小さかった頃には、余興にシャンプーを入れて泡風呂にしたり、温泉の湯の素を買ってきて自家製温泉にしてみたり、菖蒲やみかんを浮かしたり、ある時は古くなったビールが溜まったことがありビールで湯船を満たしてビール風呂にしたりと遊んだこともあったが、今では懐かしい思い出である。

 最近では年をとると老人では浴槽における事故が多いことなどを脅され、入浴中に心臓の発作などが起こった時にはまず風呂の線を抜くことを覚えたし、あらかじめ風呂場を温めておくことや、滑らないようにすることなどにも注意している。

 幸いこういうことは和式の風呂では起こりやすいが、洋式の方が安全で、風呂へ入る前には暖房で暖めているし、洗い場を使わないので浴室の床を濡らすことがないので滑る危険性も少ない。湯船も浅く、深々と湯をためることもないし、長く湯に浸かって温まるようなこともしない。排水栓もすぐ足ででも抜けるのでたとへ入浴中に意識を失っても溺れる恐れは少ないだろうと思っている。

 今でもお風呂は何と言っても首まで浸かってゆっくり暖まらなければと思う人が多いことも知っている。私の好みがむしろ偏っているようなので、この国の平均的な人たちの入浴法とは少し違うのかもしれないが、昔のお風呂の話を聞いてつい懐かしくなり、いつの間にか変わった私の入浴の習慣の変遷について振り返ってみた。