9.11.時代とパリ同時多発事件の時代の違い

 

 パリで同時多発テロが起こりイスラム国への報復爆撃が強化され、欧米は一致してテロには屈しない、連帯してテロに立ち向かうと言っている。安部首相までが中東諸国と日本との関係などに深く顧慮を払うこともなく、欧米に同調した発言を繰り返している。

 GOPの会議でパリを訪れた安倍首相が早速にフランスとの連帯を示したのは良いとしても、この事件に乗じてここぞとばかり国内でも「共謀罪」などを拵えて一層独裁政治を進めようと動いていることには注意を払わなければならない。

 このところまたまるで9.11.の後のような感じさえする。ヨーロッパでは早速、入国審査を厳しくするようで、海外旅行などがまた一層ややこしくなるなど、憂鬱である。しかし、似てはいても9.11.の頃とは明らかに時代が違って来ている面があることも感じる。

 フランスは戒厳令を引き、イスラム国に対する報復爆撃を強化したが、アメリカは連帯すると言いながらも、先頭に立ってイラクアフガニスタンの時のような地上軍を派遣することは考えていない。ロシアが少し以前からシリアのアサド政権の依頼を受けてイスラム国に対する爆撃を始めており、フランスはロシアと協調して爆撃を強化しようとしているが、ロシアとアメリカでは思惑が違い、アメリカは9.11.の時のように徹底して戦う気配はなく、影でイスラム国を助けている面さえあり、情勢は複雑なように見える。

 そのように地政学的な状況も大分変化しているようだが、これらの流れに対しての世間の見方や行動も9.11.の頃とは違っているのを感じる。あの頃はブッシュ大統領が叫んだ「敵か味方か」といった声に西欧諸国が全て振り回された感じさえあったが、今やアメリカの勢いもそこまではない。

 パリは犠牲者に対する大規模な追悼に溢れているのの、そのすぐ前に起こったベイルートかでのテロ事件の犠牲者には誰も追悼の声を上げないことに対する異常さを指摘する声が聞かれるし、ロンドンでのイギリスの参戦に対する反対のの声も大きかった。アメリカなどによるドローンを使った爆撃で多くの市民が殺されていることもテロではないかとする指摘もあり、爆撃される地域の住民の悲劇に目を向ける声も強くなってきている。

 テロの犯人が隠れているならパリやブルッセルを爆撃しなければいけないんじゃないかという声も聞かれた。世論の見方もテロについてその原因や結果を踏まえて、少し冷静に見る傾向が強くなってきたような気がする。

 新聞などからの情報だけであるが、酒井啓子さんも「パリとシリアとベイルートの死者を悼む」という文章を書かれてているようだし、昨年には「フランス保守派から左派までがイスラム国・空爆に反対する3つの理由」という記事でフランスの元首相のドビルパンが「軍事介入はテロを根絶するのでなく、テロの土壌を作ってしまう」という認識を示している。

 日本人のtwitterなどインターネットの記事でも、欧米人とイスラム圏の人々の命の尊さが同じことや、爆撃が問題の解決にならないことを指摘している例が多く見られる。朝日新聞の此の間の論壇時評でも高橋源一郎氏がGod Bless Baseball という劇で感じた「Don't play, think」をもじって、今度のパリ同時多発事件の後の様子を見て「Don't pray, think」と書いていた。

 報復爆撃によってテロを撲滅できるわけがなく、ますますテロの温床を育てるようなものである。爆撃による犠牲者の命もパリなどの犠牲者の命と等価であることを考えるべきである。テロによって生まれた難民を受け入れるよりも、その原因となっている中東の国々に対する介入をやめ、政治を彼ら自身に任せることしか根本的な解決策のないことを悟るべきであろう。

 中東の問題はまだまだ解決しそうにないが、世界も日本も少しづつではあるが確実に変わって行っていることを感じる。いつまでもこのテロの応酬の続くのが止み、少しでも早く中東の問題が解決に向かうことを念じて止まない。