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冤罪で20年ぶりに釈放

 1995年に起きた自宅の火災で長女が焼死し、両親が保険金目当ての放火殺人事件とされて否認にもかかわらず、06年に無期懲役が確定して服役、09年に再審請求し、12年に再審開始が決定、今回高裁が再審維持と釈放を認め、20年ぶりに両親が自由の身となったという新聞記事が今朝のトップニュースであった。

 死んだ娘の母親である当事者のの喜びのインタビューの記事などが載っていたが、最後に「本当にうれしい」と言った後、「いくら無罪になっても取り返せない20年。それが悔しい」とあった。

 何の罪もない人が司法に振り回されてその人生を無理やり潰されてしまったわけである。無罪となり、いかに金銭的な償いがあったところで失われた生活は戻ってこない。こんな理不尽なことがあっても良いのだろうかと思わざるをえない。

 

 誤りを犯さない人はいないが、国家権力にしても例外ではない。冤罪は起ってはいけないことであるが、必ず起こり得ることでもある。起こってしまったことはまさに覆水盆に返らず。その償いをどうするかを問題にするよりない。いかに金銭的な償いをしても、その人の一度しかない人生の貴重な時間は取り戻しようがない。

 冤罪の被害者にとっては、過ぎ去った20年の間に生活の基盤はすっかり失われてしまっている。最早以前の生活を取り戻すことはできない。ここからもう一度人生をやり直し、新たな別の人生を歩むよりない。

 そのことを考えて国家賠償を考えるべきであろう。果たして十分なことがなされているであろうか。司法が謝って償いをして済む問題ではない。国民を守るべき国家が国民の生活を奪ったのである。

 司法にしても、いかに努力しても失敗することもある、誤ることもありうる。しかしそうであるからこそ、冤罪の原因を追求して再発の防止に努めるとともに、被害者の少なくとも以前の生活の延長が可能となる以上の、経済的のみならず、社会的、文化的、精神的な充分な補償がなされるべきであろう。

 国の必要以上の配慮と被害者の今後の幸運を願わないではおれない。