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廃用萎縮

 先に和式トイレの話でしゃがむ姿勢を使わない生活が続いていると、いざという時に和式トイレを利用出来ないようになったことを書いたが、歳をとると体がすべて新陳代謝が劣ろえたところにあまり動かなくなるので、使わなくなった体の機能はどんどん失われていくようである。

 歳を取っても何とか体の機能を維持していこうと思えば出来るだけ体を使わなくてはならない。そうはいっても普通にしていると、どうしても体を使う機会が減るので体を動かす時間の総和は短くなり、それに応じて筋肉も減り力も出なくなる。内臓の働きなども似たようなものであろう。

 最近では老化を少しでも遅らせようとして、散歩をしたり、何らかの運動をしている老人も多い。一番簡単なのは散歩なので、私の家の近くでも、朝などに散歩すると決まって何人かの老人い遭うことになる。広場などで足のストレッチなどをしている人もある。

 朝のテレビの体操も一番簡単に始められるし、老人にとっては子供の頃にみな学校でやらされた経験があるためか、老人では結構やっている人が多いようだ。私も八十歳を越えて毎日決まって出かける仕事を辞めてから女房と一緒に始め、以来今日までほとんど欠かさず続けている。

 ところがある時、友人との会話で「今でも腕立て伏せが出来るか」という話が出たことがあり、昔は二十回ぐらいは平気で出来ていたので、今でも少しなら当然出来るだろうと思っていたが、帰宅してこっそり試してみると、驚いたことにたった一回でもやっとの思いで腕を伸ばして上体を支えるところまで行くか行かないぐらいではないか。

 テレビ体操やウオーキングその他で体を動かしていても、等張性運動と等尺性運動は異なるのである。これではいけないと思い、以来テレビ体操の始まる前に腕立て伏せをすることにした。「継続こそ力なり」とは良く言ったものである。はじめは二回、三回でもかろうじて出来るだけだったものが、毎日やっていると次第に出来るようになり。毎日十回することにした。

 そのうちに十回出来るならもう少し増やしてやろうという欲が出て、十二回、十三回と増やし十五回でしばらく続け、やがて二十回になった。不思議なぐらい続けていると出来るようになるものである。そうなるとまた欲が出るもので、今はもう毎日体操の前に二十五回腕立て伏せをするのが日課になっている。

 八十五歳を越えた老人諸兄よ。大きくは自然の成り行きに任せねばならないのが我々の体の運命であるが、廃用萎縮で寝たきりになる前に、余命を楽しまないのも詰まらない。出来るうちは腕立て伏せもしゃがむ姿勢も楽しまなくては損です。無理はしないで、出来ることはいろいろ試してみたいものです。