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一番元気な男たち

 何年か前ぐらいまでは、平日の午後や夕方に音楽会や展覧会に行っても、どこでも観客はほとんど女性ばかりで、男性関係者ぐらいしか見られないのが普通であった。

 海へ行っても山へ行っても、どこでも色々な年代の女性のグループばかりで、男性、ことに連れ立っている男性に出会うことは殆どなかった。集団の男は仕事を離れれば、ゴルフか飲み会ぐらいしか行かないのがこの国の特徴なのかと思われるぐらいであった。

 いつか、どこかでそんなことを書いた記憶があるが、ここ数年ぐらいでそれがすっかり変わってきてしまった感じがする。

 最近は音楽ホールへ行っても、後ろの方から眺めると白髪や禿頭がやたら目につくようになったし、美術館や博物館などでも同じ傾向が見られる。街中や郊外でも、列車で旅に出ても、どこでも出くわす男の老人の数が増えたように思われる。昼間の郊外電車でも数人で連れ立って出かける男連れの年寄りたちをよく見かけるようになった。

 戦後も七十年が経ち、いわゆる「団塊の世代」がはや定年を過ぎて、老人の仲間に入って来たのが主な原因のようで、まだここ数年ぐらいの変化であるが、この傾向は今後ますます顕著になっていくのではなかろうか。

 昔と違って、今の六十代後半や七十過ぎぐらいの人たちはまだまだ元気である。還暦などまだ働き盛りの感じだし、古希といっても稀どころか、殆どの人が元気で時間を持て余していると言っても良いほどである。

 このぐらいの年代の人たちは、仕事を辞めても退職金はまだ残っているし、少なくても年金もある。まだ健康で生活にもゆとりのある人が多い。その上、何よりも仕事のストレスからは解放されているし、自由に使える時間もある。人脈もまだすっかりは消えていない。

 仕事の名残や家庭の用事などもそこそこあったりしても、仕事の束縛から離れ、ほとんど自分のペースで適当に動き、適当に休む贅沢の出来る何よりもかけがえのない時期にいることとなる。

 同じ会社や職場だった似たような年齢の人たちが時々集まって旧交を温めたり、歩こう会などを立ち上げて一緒に山へ行ったり、一緒に旅行したり、誘い合って音楽会にいったり、絵や写真のクラブを作ったり、ゴルフコースを回ったりと人さまざまであるが、それなりに仲間も元気なので、何をするにしても仲間と一緒に楽しめる。この頃流行りのスポーツジムの会員も四分の一程度がこの年代の人たちだそうである。

 これらの集まりでお互いの間の会話で問題になるのはもはや仕事のことや社会のことではなく、息子や娘が結婚しないことの愚痴や、孫の自慢など家庭的なことが多くなるが、孫の話はしないと決めているグループも多い。しかし一番多い話題はたいてい自分の病気や検査の異常値のことなどで、何もない健康な人は仲間に入れてもらえないぐらいである。

 これらの定年後、六十の後半から七十の前半あたりの年齢層の老人の集まりが今では一番元気なのではなかろうか。時々電車の中などで見かけるが、たいてい皆が揃って見るからに楽しく幸福そうに見える。どの顔も笑顔で目が輝いている。

 現役のサラリーマンの陰鬱そうな顔をして、眉間に皺を寄せ、寝不足で赤い目をしてスマホやPCに向き合っていたり、座席に座り込むなり寝ている姿とは対照的な外観である。僅か数年のことで、環境が変われば人はこんなに変われるものかと驚かされる。

 おそらく今のこの国で、一番元気なのは、学生などの若者をを除けば、こういった「前期高齢者」年代の老人たちということになるのではなかろうか。

 もちろん、表面には現れにくいが、これら元気な年寄よりも遥かに多いかも知れない、身体的、社会的、経済的に恵まれない同年輩の人たちのことも忘れてはならないし、恵まれたこれらの人たちの幸運もいつまでも続くとは限らない。 

  私の経験からすると、七十の前半ぐらいまでは良いが、それを過ぎていわゆる「後期高齢者」の年代になっていくと、ガンをはじめ脳卒中心筋梗塞など、いわゆる成人病などでぼつぼつ欠けていく仲間が出てくることになる。あちこち具合が悪くて生きていても出てこれないような人も増えてくる。「下流老人」と言われるような経済的問題も出てくるかも知れない。

 こうして、元気だった仲間たちも体力の要るような集まりから始まって、次第に仲間が揃いにくくなり、集まりの回数が減ったり、遂には続けられなくなったりすることになる。こうして仲間の人数も次第に減り、寂しくなって行くようである。

 これは老人の定めである。光陰矢のごとし。殊に年を重ねるほどに時間の経つのも速くなる。まだ体も元気な「前期高齢者」のうちに楽しむべきことは十分楽しまれることを願ってやまない。

 "Dum Vivimus Vivamus !!"  (生きている限り楽しもう)