隣の人にもメールで話す時代

 たまたまアメリカから帰っている娘が伯母にあたる姉の家に行って世話をしたのを姉がいたく喜んで、そのことを息子である甥が喜んでメールで娘に是非伝えて欲しいと言ってきた。甥は娘のメールアドレスを知らないので私の所へ連絡してきたわけである。

 娘がアメリカにいる時なら、私もすぐにメールを娘に転送するところだっただろうが、今はまだ我が家にいるので、外から帰ってきた時にでも話せばいいだろうと思って打ち捨てていた。

 ところが女房が「メールを娘に転送したのか」というので初めて気がついた。娘も忙しくあちこち行っているのだから、なにも娘が帰宅するまで待たなくとも、娘にメールを転送すれば娘の都合の良い時にそれを見て最もスムースに伝達出来るわけである。

 ただ、メールにしても電話にしても、私の古い感覚からすれば、通信というものは離れたところにいる二者を結びつけるためのものであり、近くにいれば直接の会話が当然で、特に急用ででもなければ、電話やメールなどは頭に浮かばなかった。

 現在では、会社などの中で隣に座っている者どうしでさえもメールで会話を交わすことさえあると聞く。私などから見ると何故?と聞きたくなるようなこともあるが、それはそれでいろいろ事情があるのであろう。

 考えてみれば、現在では近くにいてもいろいろなコミュニケーションの方法があり、どれを使っていけないということはない。昔ならすぐ横にいる者に電話をかけるような人はいなかったであろうが、お互いそれぞれがパソコンに向かったいたり、始終スマホを持っているのであれば、近くにいても話しかけるよりメールででも呼びかける方が早くて便利なこともあるであろう。

 今の若者はメモを取らずにスマホを使う。どこかの電話番号を娘が孫に教えたらメモするかわりにスマホに送ってくれと言ったという。

 コミュニケーションの方法が増え、電話やメールなど機器の使い方も変わってきたのに、老人の頭はいつまでも昔の概念に固定されて、今風の柔軟な対応が出来ていないことにつくづく感じさせられた瞬間であった。