核拡散条約会議での被爆地訪問提案

 国連本部で行われているNPT再検討会議で日本が世界の指導者らに被爆地訪問を要請することを最終文書に入れるよう提案したが、中国が日本政府が日本を第二次世界大戦の加害者でなく、被害者として描こうとしている事に同意出来ないと述べて削除を求めたことが新聞で報道されている。

 「このようなな提案がなぜ歴史をゆがめることになるのだろう」と新聞の社説でも取り上げられ、日本はこのため削除された文言の復活を訴えているようだが、原爆の問題では日本の加害責任と対にしないと正当な訴えも説得力がなくなる事はこれまでの経過を見ても明らかである。

 アメリカは今も原爆投下を正当な戦闘行為だとみなしているし、過去にアメリカで原爆被害の展示を行おうとして反対にあい出来なかった事もある。

 被爆した詩人の故栗原貞子さんも『「ヒロシマ」というとき/「ああヒロシマ」と/やさしくこたえてくれるだろうか/「ヒロシマ」といえば」「パール・ハーバー」/「ヒロシマ」といえば「南京虐殺」・・・』と言っていることを朝日の天声人語が思い出させてくれた。

 被爆者でなくても、広島原爆投下を実際この目で見て、現地を通って来た私も「二度と許すまじ原爆を」と何度歌ったことか。原爆の悲惨さを世界の多くの人にも知ってもらいたいが、原爆が落とされるに至った日本の侵略戦争についてのわれわれの反省をも理解してもらう必要があるであろう。日本も原爆の研究を行っていたのである。

 一般市民をも巻き込む都市の無差別爆撃の歴史はナチスドイツがスペイン内戦でゲルニカの街を空襲したのが始まりで、第二次世界大戦が始まるとロンドン空襲が続けられ、中国では日本軍の重慶への渡洋爆撃といわれた無差別爆撃が行われ、その流れに乗ってアメリカによる東京、名古屋、大阪に始まる日本の大都市の空襲が続くようになり、挙げ句の果てがヒロシマナガサキということになったのである。

 NPT会議における日本の提案は決して間違ったものではないが、加害者としての日本の反省を伴わない被害の訴えは届きにくいことを知るべきであろう。

 最近読んだ本に、ハルピンにある大日本帝國陸軍本部の直属部隊であった関東軍防疫給水部第731部隊による細菌兵器開発のための人体実験が行われた遺跡、「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」を見学した話が載っていたが、中国の人たちにとっては原爆よりもこの細菌兵器の人体実験や南京虐殺の方が忘れられない歴史であることは当然であろう。

 原爆の凄惨さ、非人道性を理解してもらい、二度と繰り返さないよう訴えるためには、日本の加害者としての反省を踏まえなければ世界には通用しないことを改めて知るべきであろう。