三人の痩せぎすの少女たち

 先日電車に乗っていたらどこかの駅で大学生ぐらいの少女が三人乗ってきた。

三人とも今時の女性にしては小さめで、始めは高校生かなと思ったが、顔付きや話の内容などからすると大学生に違いない。

 ところが三人が三人ともに痩せ過ぎなのである。二人は細い緩めのタイツを穿き、ひとりは脚にぴったりのタイツを穿いていたが、揃いも揃って三人ともにびっくりするような細い脚をしている。

 この頃の女性は皆上着は短く、短ズボンかミニスカートが当たり前なので脚が余計に目立つのだが、本人がどう思うかは別として、あれだけ痩せてくると最早脚線美を越えて人目には痛々しい感じがする。あれで普通に歩けるのだろうかとか、今にも折れそうで大丈夫かなとさえ思いかねない。

 本人たちは案外その痩せた細い脚が良いと思っているのであろうが、骨と皮しかないような脚は明らかに病的であり、男にとっても魅力ある存在ではない。女性は痩せているのがよいと思っている傾向があるが、細い大腿や小さなヒップは決して男性を惹きつけることはない。骨が歩くような姿は病的で決して健全ではない。気持ち悪くさえ感じさせられることを女性は理解しているのであろうか。

 このような脚なら、パリ万博当時、和服の裾から僅かに覗いた椅子の脚ほどに細い日本女性の脚姿のようにした方が似つかわしいのではなかろうか。

  痩せぎすが格好が良いという女性のファッションの傾向は今に始まった事ではないが、あまりに痩せすぎのモデルが流行った結果、いつだったか有名なモデルが拒食症で自殺したのがきっかけでスペンやイタリアではBMIが18以下はモデルお断りということになったこともあった。

 若い時の痩せは拒食症の問題だけでなく、その人の一生の骨量を決める最大の因子がその人が20歳ぐらいの時に獲得する骨量であり、それがその人の一生の中での最大な骨量であり、そこから先はみな程度の差こそあれ骨量は徐々の下がっていくばかりだと言うことも知っておくべきであろう。

 その上、貧弱な栄養や骨組みは妊娠出産にも影響し、社会的には小子高齢化にも関連してくる。これでは日本の人口が増えるはずはない。

 そんなことを頭に浮かばせながら三人の姿を眺めていると、これではこの国の未来は決して明るくないなと思わざるを得ない。女性の社会進出促進や移民の受け入れとか言っても、社会は「もう一度日本」とか「日本を取り戻せ」といったむしろ懐古主義の方向へ向かっているし、アベノミクスやらで景気を回復させて戦争の出来る国にしようと政府は強引なやり方で政治を進めようとしている。

 どうも安倍政権の政策は時代の読み方を誤っているようの思えて仕方がない。

 資本主義社会がある意味で成熟社会になり高度成長期のような発展が望めず、少子高齢化の社会となり人口が減り老人が増え社会補償の必要が増す中で、夢よもう一度と経済成長ばかりを追うのが間違いであろう。新しい時にあった社会や国のあり方を考え、方向を変えて行くべきであろう。客観的な情勢を無視して夢よもう一度、「もう一度日本」などと時代遅れの高度成長期時代の施作を繰り返そうとするところに根本的な無理があるように思われる。

 老人ばかりの国民に戦争しろと言ったって最早無理なのである。沈みゆく大国をいつまでも相手にしていても救いは来ない。発想を変えて国民の幸福を目指す新しい施作に切り替えていかなければこの国に未来はないのではなかろうか。

 そんなことをぼんやり思いを巡らしているうちに、ふと気がついたらもうその痩せぎすの女性たちは三人ともどこかの駅で降りたのかもう見当たらなかった。