読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

もう一度日本

 最近テレビではしきりに「もう一度日本」と言われている。聞くたびに「もう一度」というのは「いつの日本をもう一度」望んでいるのか疑問になる。説明がないので曖昧であるが、画面に出てくる映像などからすると、どうも戦前ぐらいのことを指しているようである。

 しかし現実の世界はどんどんそれとは反対の方に進んでいるように見える。地方の過疎化がすすみ、荒れた田畑や山林が放置され、地方都市の過疎化も激しく、鎮守の森も荒れ、伝統行事も廃れてしまった所ばかりである。昔ながらの家並みもない。

 私の子供の頃には実際にあって経験もした「うさぎ追いしあの山も、小鮒釣りしかの川」も今はもうない。「もう一度」と言っても、うさぎを追った山は切り開かれてゴルフコースやコンクリーとで固められた霊園となり、舗装道路が山肌を抜い、車が走ってうさぎはいなくなったし、人も車を気にしなくては気楽には歩けない。

 小鮒を釣った小川は両岸ともコンクリートで固められ川面にも下りられない。堤で土筆やタンポポを採ったり、フナを釣った池も埋め立てられてしまって、そこには今は鉄筋の大きな市役所が建っている。

 もはや昔にもう一度戻ることなど出来ない。それどころか地方の崩壊は今も進み、高速道路の走る下の町はシャッター通りになって昔懐かしい店もない。少子高齢化が進み神社の祭りを支えた氏子ももう大半いない。良きにしろ悪しきにしろ世の中はどんどん変わっていく。

 現状が不満だからといって昔をただ懐かしがっていても仕方がない。実際の過去の歴史には良いことも悪いこともあった。ことに昭和の前半の歴史はあの戦争を挟んで多くの国民にとって二度と繰り返したくない悲惨な出来事の連続であった。「もう一度」など絶対にあって欲しくない。

 悪いことを隠して良いことだけを懐かしがっても一時の逃避に過ぎない。過去は正しく総括して未来に活かすべきものである。年寄りの私でもというか、年寄りの私だからこそ「もう一度日本」など言わないで、皆で力を合わせて「新しい日本を」、本当の民主主義の国にして、戦いのない皆が平和で幸せに暮らせる日本を作って行きたいものだと言わざるを得ない。