アイヒマンは今も生きている

 アメリカのイスラム国攻撃のドローンの操縦士の話がインターネットに載っていた。

 アメリカの基地にいて窓のない倉庫のような場所でコンピュータで操縦し、目標を探し、命令により標的を狙いミサイルを発射して相手を殺すのだそうである。まるでコンピュータの殺人ゲームである。その人が殺した人の数は数千人という。すべて命令に従って行ったものである。初めての時は躊躇したが、正統な命令ということで従ったと言っていた。

 軍隊は人を殺すのが目的と言えばそれまでかもしれないが、それは戦争の相手国に対してだけである。相手国でもない他国の、自分たちがけしからんと判断して世界中に退治するよう呼びかけている集団が相手である。 

 しかも地上戦ではないから、目標はあくまで間接的な情報によるだけで、どこまで信憑性があるか怪しいものも当然入ってくるし、攻撃もドローンを介した間接的な方法よるミサイル攻撃である。正確に行われても周辺の人たちや施設をも巻き込んで多くの人を殺すことになる。当然多くの普通に平和に暮らしている人たちが犠牲になることも分かった上での攻撃である。

 攻撃する人にとってはコーヒーを飲みながらでも出来る危険も伴わない通常の仕事であるが、目標とされる方にとっては何も知らない日常生活の中に突如として降ってわいたような攻撃が行われ、死が待っている悲劇となる。いかに目標が極悪非道の人間であっても、そのために関係のない普通の人々が巻き添えを食らって犠牲になって良いわけはない。こんな理不尽なことが許されよかろうか。

 特定の人間を標的として命令により通常の仕事として忠実に実行して多くの人を殺すのである。殺人が日常の仕事なのである。軍隊であるから命令に服さなければ処罰を受ける。ナチスのアウスシュビッツ強制収容所のアイヒマンも命令に従って自分の日常の仕事を忠実に行っただけである。

 どこの軍隊でも上官の命令には逆らえない。国家的な巨大な殺人機構に組み込まれているのである。組織の意思に自分を合わさなければ生きていけない。戦後の戦争裁判で議論されたが、命令に背いても人間の尊厳を守ることが出来るか、今も問われている大きな問題である。国家を前にした個人の小ささ、弱さは現在でも変わっていない。

 本来は国民があって国があるもので、その反対ではないが、一見平和な先進国で、現在もこのようなことが行われていることを知っておくべきであろう。戦後の戦争裁判での結論は今も同じで、命令権者とともに実行者にとってもかかる行為が人類に対する犯罪であることには変わりない。