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一所懸命か一生懸命か

「一所懸命」か「一生懸命」か、今は後者を書く人が多くなったようで、広辞苑を見ても両方が載っており、「一生懸命」の方には「一所懸命の転」と記されている。

 私などは子供の時から「一生懸命」でなく「一所懸命」が正しいと教えられ、訳も分からずその通りに記憶していただけで、文字の由来について考えたことがなかったが、先日の新聞で作家の沖方丁氏が書いていた記事をみて成る程と思い、改めて「一所懸命」の由来を若い人から教えて貰うことになった。

 氏は「日本の歴史と衆院選」という文章の中で「為政者が民衆の声を無視し、一斉行動を促す。それを望む人びとがいて、それがこの国を繁栄させる上での最適解だったという事実」を踏まえ、「なぜそうした意思統一の方法が成り立ったのか?黙従の美徳の大前提は、人間が自由に住み処を変えないということである。いわゆる「一所懸命」だ。一つの場所に命を懸けねばならず、流浪は哀れなことであり・・個人の都合で移住しようとする人々は、下手をすれば懲罰の対象になるか、云々」とし、日本人が沈黙と忍従を最も効率的な意志統一の方法としてきたが、近年の国際化によりその大前提が崩れてしまったことなどを論じているのだが、ここで「一所懸命」の意味が浮き彫りになっているのが興味深く感じられた。

「一所懸命」という熟語の背景に、この国で長く続いた封建時代の農村社会で昔の人々が決まった土地に拘束されてそれを命を懸けて守ってきた歴史が感じられて、これまで深く考えたことのなかった言葉の深い意味を改めた知った感じがした。

 そして世の中が農村社会から資本主義社会に変わり、個人の人々が移動するようになり個人の努力が問題にされるようになるとともに、人々の心情がいつしか「一所懸命」を「一生懸命」に、あたかも必然的なように、変えて来たものであろう。歴史の変遷と共に変わる言葉の変化とともに、歴史に適応していく言葉の生命力のようなものを感じ興味を憶えた。