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口の中のお地蔵さん

 昔も今も殆どの人が年をとれば歯が抜けて入れ歯を入れなければならなくなる。歯科では八十・二十と言って八十歳でも歯が二十本揃っているように若い時からよく歯を磨いて歯を大事にしましょうという運動が行われている。

 若い時は虫歯が問題だが、年をとって抜けていくのは大抵歯槽膿漏のためのようである。そのため歯の磨き方、デンタルフロスの仕方、うがい薬などいろいろれ勧められるが、まだ若くて仕事に忙しい時には、沢山ある歯を変万辺なく磨いたりフロスでこすったりと時間をかけて歯の手入れをする暇が取り難い。どうしても時間を切り詰めて、形ばかりの歯磨きで済ませてしまうことになりかねない。場合によっては忙しくて歯磨きを飛ばしてしまう時さえある。

 たまに虫歯になって歯が痛み歯医者に駆け込むことがあっても、その時は歯も大事にしなければと思うが、痛みがなくなって忙しい日常生活に戻ればまた忘れてしまって元の黙阿弥になってしまう。

 そんなことを繰り返しているうちにいつしか歳をとってしまい歯槽膿漏が進み、歯肉が減退し、歯の背が高くなり隙間が空いて次第にぐらつくようになり、何かの拍子に抜け落ちていく。

 若い時代の虫歯は夜間に痛んだり、歯医者で歯を削ってもらったり、水平智歯を抜いてもらう時などは歯の痛みだけでなく、体全体の問題で日常生活さえ妨げられるものだが、歳をとって歯槽膿漏で歯が抜ける時には最早痛みを感じることもない。ポロリと抜けてお仕舞いである。

 虫歯で抜歯に至るのは少数で、何本もある歯の一部に過ぎない。しかし歯槽膿漏の方は歯齦が一斉にやられるので、次から次えと抜け落ちていく。それも奥の方の歯が欠けても目立たないのですぐにどうこういうことではなくても、外から見える前歯が抜けると美容上たちまち格好がつかなくなり義歯が必要になる。

 私が初めて義歯を入れねばならなくなった時の事は今でもはっきり覚えている。1982年だからまだ五十代だった。四国八十八ヶ所の最後のお寺である香川県大窪寺に連れて行ってもらった時である。わざわざ雪の多い時に行ったのだが、お参りを済ませお寺の前の茶店に入り、うどんを食べた時に田舎風の丸い形のこんにゃくがあるのを見つけ珍しいので食べてみたのだが、一口かぶりついた途端に前歯が一本ぽろりと抜けてしまったのであった。

 仕方がないので帰ってすぐに部分入れ歯を作ってもらい着用することにした。それが入れ歯の始まりである。最初は口の中の入れ歯の異物感に、こんなものをこれから先一生入れていなければならないのかとがっかりしたが、体の適応力は素晴らしいものである。そのうちに慣れてしまって、入れ歯を入れているのか入れていないのか確かめなければわからなくなって、ついうっかりして入れ歯を忘れて家を出てしまい、慌てて入れ歯を届けて貰ったようなこともあった。前歯なので入れ歯がなくては人に会うことも出来ないからである。

 その後も歯は年とともに一本また一本と抜けていき、何回入れ歯を作り直してもらったことだろう。気が付いたらもう上顎の歯は一本残らずなくなり、下顎の両側に一本づつ長い歯がまるで鬼の牙のように残っているだけになってしまった。

 それでも総入れ歯の先輩が「総入れ歯でも肉は噛めるし何でも食べられる。もはや虫歯や歯槽膿漏もないし、こんなに快適な歯の時代はなかった」というのを聞いて安心していた。

 丁度その頃残った歯が三本から二本になったので、新しい入れ歯を作ってもらった時に歯医者に「そのうちにいずれすっかりなくなってしまうでしょうね」と話したところその歯医者さんが言ってくれた。

「上の入れ歯は上顎に吸着して支えられているから良いが、下の入れ歯は下顎に乗っかっているだけで、残った二本の歯が支えてくれているものだからこの二本は大事にしておきなさい」と。

 この時がまだ七十歳代だったので、八十・二十は不可能でもせめて八十・二は守らなくてはと思い、それからは残った二本を丁寧に扱うようにした。多くの歯がある時にはすべての歯を念入りに手入れすることは難しくても二本だけなら扱いやすい。以来、二本の歯の付け根の周り全体を食事の後毎に柔らかいブラシで万遍なくこすり大事にしてきた。

 そのためかどうか、何とか八十・ニは達成出来、もう全く歯医者のお世話にならず、快適な歯の状態が続けられたが、もう既に骨から浮き出し、歯肉だけで支えられていたような歯の寿命は限られている。八十六歳でとうとう一本抜けてしまい、残り一本になってしまった。十年近くも何とか持ちこたえてくれたのだから感謝しなければならない。

 しかし、一本だけになってしまった口の中は寂しい。平素は入れ歯をしているので判らないが、洗面所で顔を洗い入れ歯を外すと、開いた口の中の薄暗い空間に盛り上がった下顎の歯齦の堤の上にたった一本の白い歯が、まるで野辺のお地蔵さんがひとり寂しく立っているように見える。

 儚い(歯がない)歯の歴史である。最後の一本もいつまでも持つわけではないであろう。そうなればいよいよ歯なしの話をすることになってしまう。

 最早手遅れであるが、せめてまだ若い人には、これからでもよいから面倒でも歯は出来るだけ大事にしておいた方が良いですよと言ってあげたい。

 口の中野辺の地蔵のひとり立ち