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もう一度日本

 この頃はNHK などでしきりに「もう一度日本」だとか「取り戻せ日本」とか言われるが、取り戻すとかもう一度とかいうのは一体いつの日本のことを言っているのだろうか。

 どうも戦前の日本のことを言っているようだが、戦前の日本ならもう一度取り戻さない方が絶対に良い。戦前の日本を知らない人にとっては、昔にノスタルジアのようなものを感じてもう一度などと甘い感傷を抱くのかも知れないが、現実の戦前の日本は決して良くなかった。人々の生活も今よりずっと悲惨だったといってもよい。

 今よりずっと貧しく、不便で不衛生で病気も多く、命も短く、貧富の差もひどく、役人や軍人がやたらといばっていて、不敬罪治安維持法などという怖い法律もあった。政治的な集会があると巡査が来て不都合な発言があると忽ち演説も中止させられた。友達に頼まれて左翼系の本を届けに行っただけで警察署に連れて行かれた少年もいた。

 結核で死んだり休学する人も多く、疫痢で昨日一緒に遊んだ子が今日もうなくなるようなこともあった。寄生虫も蔓延し検便が医学生のアルバイトとしてなりたった。

 今のように冷暖房もなかったし、テレビも洗濯機もなかった。夏は蚊や蠅に悩まされ、冬は隙間風の多い家で火鉢と湯たんぽだけが暖房器具だった。それに二十歳になれば徴兵検査もあり、戦争に行かなくても兵隊生活は野蛮でなもので、何かにつけて意味もなく「鍛える」と言っては上官に殴られた。

  この小さな島国で七千万の人口を養うのは無理だと言われ、貧しい人たちは満州や南米に移住した人も多かった。昭和になっても東北の冷害で米の不作で小作人は生活できず娘を売らなければならなかった。国としての貿易も赤字続きで、海外への出稼ぎ労働者の仕送りによってどうにかバランスをとっていた状態であった。

 その挙句の果てがあの哀れな負け戦、日本国中焼け野が原になって、食う物もなく住む家もなく、買い出しに行って闇米や芋、かぼちゃ、すいとんで空腹を満たしたが、餓死する者もいた、傷痍軍人や浮浪児、売春婦、それに占領軍・・・、思い出しても悲惨な生活だった。もう二度と戦争は嫌だと皆が思ったものだ。

 良い思い出より悪い思い出ばかりである。良かったのは自然の風景だけであろうか。敗戦直後には「国敗れて山河あり」と思ったが、それもその後の高度成長とやらで、今や国中「開発」されてしまい、どこもかしこもコンクリートで固められ、ウサギを追う山も小鮒を取る川もなくなってしまった。

 現在のように不安定で先の見通しが立たないような時には過去に逃げたくなるものであるが、歴史は後戻りできないし、戻れば悲惨だ。「もう一度日本」だの「取り戻せ日本」などと言わないで、外国の保護国となって久しく、官僚が支配する少子高齢化で人口も減少するこの国の現状をしっかり見据えて、将来をどうすれば良いかを皆で考えて、「もう一度日本」ではなく、新しい時代の新しい日本を作るように努力すべきではなかろうか。