ひとの振り見てわが振り直せ? 

 昔から「ひとの振り見てわが振り直せ」と言ったものである。自分の姿は客観的に見れないので、他人の行動を見て、外から見ると自分がどのように見られているのかを想像して自分の行動を見直すのがよいといった意味だが、折に触れて他人のしていることを見ていると世の中には同じ人間なので自分と同じよう癖を持った人がいるものである。

 自分と全く同じような行動をとっている人に出くわして、思わず微笑ましくなったり、少し恥ずかしく感じたりすることがある。自分もあんな感じで見られているのではなかろうかと思うことになる。

 ところで私は毎月一回朝の散歩に箕面の滝まで行くことにしている。いつもは朝早く池田から宝塚線の電車に乗り、石橋で初発の箕面行きの電車に乗り換えて箕面まで行き、そこから滝まで歩き、帰りは同じ経路を引き返して帰っているが、朝のテレビ体操の時間に間に合うように帰るようにしているので、帰途の石橋での乗り換えを大急ぎでしなければならない。

 そのためには石橋に電車が着く前から一番便利な一番前のドアのすぐ前に立ち、電車が着いてドアが開くや否や一番に飛び出し、大急ぎで地下道をくぐり抜けて宝塚行きのホームに駆け上がるわけである。

 私は元来せっかちなのでそうでなくても電車の乗り降りは真っ先にしないと気が済まないようなところがあって、このような時には次の電車に間に合わないといけないと思って余計に急ぐことになる。

 実は今日も箕面へ行ったのだが、今日はいつもと違って、紅葉見物が目的で、時刻もいつもより遅く、時間の制約もなく石橋での乗り換えも急ぐ必要もないので、帰途の箕面線の電車でも一番前の車両であったが、電車が石橋に着くまでゆっくりと座席に座っていた。

 すると石橋の一つ手前の桜井をこえた頃に電車の後方からか七十歳ぐらいの元気そうな白髪の老人が車内を歩いてきて電車の一番前ドアのところに至り、さらに人の隙間を縫ってドアにぴったりくっついた位置を確保してそこにじっと立った。乗り換えを急ぐ時の私の行動と全く同じである。ドアに密着したその位置に立てれば確実に真っ先に降りれるのである。

 老人は気が早い。まだ石橋到着までもう少し時間があるのに、先回りしてドアが開いたら真っ先に降りてどこかへ急ぐためにあらかじめ早くからその位置を確保して準備しているわけである。自分の過去の行動に照らしてみればすぐに分かる。

 電車が石橋に着いてドアが開くや否や、案の定、老人は真っ先に飛び出して走り出した。初めは何処へ行くのか分からなかったが、老人は一目散に地下道を降り始める。「そうか、ひょとしたら老人は宝塚方面へ乗り換えるのか。それなら乗り換え電車の時刻を知っていて急いでいるに違いない。ならば私もそれに便乗させてもらおう」と私も急に後を追って急いだ。

 結果としては次の宝塚行きまでにはまだ時間があって急ぐ必要はなかったのだが、老人も気が早いので乗り換え電車の時刻を知らなかったが、とにかく急いで乗り換えようとして早くから気が急いていたものであろう。同じような行動をする人がいるものである。いつものせっかちな私の行動を知っていたかと思うほどよく似た行動で思わず微笑みたくなる感じであった。

 年をとればもう少し悠然と構えて堂々と行動した方がよいのではないかと思うこともあるが、持って生まれた性格はもはやこの年になっては直しようもない。それより年寄りのせっかちも私一人ではなく似たような老人のいることを知って、「わが振りを直す」よりも、同輩もいる、面白いものだ、やれやれ一安心と感じた次第である。