温泉街の荒廃

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 先日福島へ旅行に行った時、会津若松を見学した後東山温泉に泊まった。もう半世紀以上も前に友人らと一緒に旅行した時に泊まって以来の再訪であった。

 夕方ホテルに着き、翌朝温泉街を歩いて少し上手の方まで散歩したが、もう昔の面影は殆ど見られなかった。昔は温泉街が深い渓谷の上にあり、旅館が軒を連ねその間にお土産屋やその他の店が並び、浴衣がけの客が旅館の浴衣を着て下駄の音を響かせながら三々五々通るといった、どこの温泉街にもあるような風情であったような気がするが、もう今ではそのような面影は殆どない。

 通りを歩いて驚いたのは殆どの店が朝だからではなく、もう何年も前からといった感じで閉められたままで、古い旅館も軒並み無人。いずれも荒れ果て蔦や雑草が絡みついていることであった。木造の建物のの並ぶ昔の温泉旅館やお土産屋が続いていたであろう一区画などは軒並み建物が閉鎖され長年放置されてきたためであろう建物が崩壊しかけており、屋根まで落ち、蔦が絡まりその荒廃振りは目を覆いたくなるような所もあった。

 さらに荒廃はそうした古い通りだけでなく、一頃は賑わったのであろうコンクリート造りの大きなホテルでもすでに営業をやめそのまま放置されているのが何軒もあり、看板は剥げて半ば潰れ、窓ガラスが破れたままで入り口にまで草が生えているようなところもある。

 外から見てかってはホテルの看板になっていたのであろう円形の大きな建物から張り出した構造は展望浴槽でもあったのか、あるいは何かのための大きなホールになっていたのであろうかしれないが、今では薄汚れ破れた窓で無言で過去の栄華の果てを嘆いているようでもあった。

 日本のバブルが崩壊した後に温泉街の荒廃が言われるようになったことも聞いてはいたが、これまでもあちこで温泉に泊まっていても、これまでこんなにひどくなっているものとは知らなかった。泊まったホテルは立派な建物だし、お客も多く賑わっていたのでホテルから出なければ全く気がつかないで済んでしまう。ホテルの内と外では別世界になっているようである。

 温泉の世界でもに格差がひどくなり、少数のもののみが生き残り温泉街を独占し、その他の多くは淘汰されてしまっていくのであろうか。温泉も現在および近未来のこの国の姿を象徴する景色とも言えそうである。

 そう思っていたら、つい二三日前にインターネットを見ていたら鬼怒川温泉の荒廃振りを何枚もの写真付きで紹介している記事があった。鬼怒川温泉の方が東京にも近く温泉としての規模も大きいので、大型ビルの温泉ホテルが多いが、そのほとんどが無人で荒廃している様が載っていた。 

 昔アメリカですでに最盛期を過ぎた工業都市デトロイトや中西部や南部の都会の中心部でに無人となって荒廃した巨大なビルが並んでいるのを見て歴史の移り変わりの悲哀を感じさせれれたものであるが、日本でもこの温泉街の荒廃振りに接すると。すでに成熟期を過ぎて衰え崩壊し始めていく社会を可視化しているような気がしてならない。

 今はまだ、かっての高度経済成長時代のいわば余分ともいえるレジャー施設のような温泉街の荒廃に過ぎないが、この国の地方の崩壊が急速に進んでいる現状を考えると、今はシャッター通りと言われているぐらいだが、やがて地方都市などから大きなビルまでが空き家になり放置されて巨大な廃墟をさらすようになっていくのではなかろうか。

 私の生きている間に事態がどれだけ進むか知れないが、荒廃した哀れな都市の姿を見ないでおさらばしたいものである。