道を行く人びと

 私は池田市という大阪から電車で二、三十分の郊外の駅から近い古くからの住宅地に住んでいる。仕事に毎日出かけていた頃はご多分にもれず、たいてい朝早く家を出て夜遅く帰って来るような生活だったので、近所の情報にもうとく、家と駅との間を行き来するだけで途中で出会う人以外には、家の近くの道をどのような人たちが歩いているのかあまり関心もなかったし知らなかった。

 しかし、年をとって家にいることが多くなると、散歩や買い物に出かけたり、その他にも時間を問わず周辺をぶらついたりすることも多くなり、いろいろな時間にいろいろな人と遭ったりするようになり、自然と我が家の周辺の事情にも詳しくなってきた。

 こうして周辺の道を歩きながら眺めていると、いろいろな時間にいろいろな人達が道路を利用して生活していることがわかってくる。一日の時間帯によって利用する人が随分違うことに気がついた。

 年をとるとやたら早起きになって私はまだ暗い頃から近くを散歩することが多くなったが、そんなに早い時間でも新聞配達のオートバイのお兄さんだけでなく、ご同輩の老人の散歩ないしは徘徊、それも案外夫婦連れが多い。夫婦仲が良くてよいことだがひとりでは危ないので婆さんが付いてきているのもあるのではなかろうか。

 それに犬の散歩である。明るくなってからではまだ仕事をしているぐらいの年齢の家庭では朝は特に忙しいであろうし、昼間は仕事で家は留守だったり、そうでなくとも家事や付き合い、子供の世話など忙しいだろうから、犬の散歩は朝早くぐらいしか時間が取りにくいのであろうか。犬は早起きなのかどうか知らないが、犬のフンの始末までしなければならず人も犬もご苦労さんと言いたくなる。

 その時間が済み朝飯を食べ終わる頃の時間になると、遠方まで仕事で出かける人などが急いで駅に向かう姿が見え出し、以後は時間とともにサラリーマンの出勤時間帯となるので道も駅も混雑してくる。先日丁度そのラッシュの時間帯に最寄りの駅から大阪とは反対方向の電車で出かけたが、反対方向なので空いているかと思いきや結構沢山の人で腰掛けることも出来なかった。そちらにも学校があったり、工場があったりでラッシュの時間にはそれらに向かう人達が集中しているからであろうか。

 このラッシュアワーのピークは八時半ぐらいまでである。その時間を過ぎるともうここからは大阪の会社に九時までに入ることが困難になるためであろう。

 しかしその頃となると今度は駅から住宅街を抜けて反対方へ急ぐ大勢の人波が見られれるようになる。住宅街の少し南に古くから大きな自動車会社の工場があるのである。そこへ務める人はもう少し早くから行く人も多いがラッシュはやはり八時半頃であろう。

 またその頃からはパート勤めであろうと思われる女性たちが駅に向かう姿が見られるようになる。もちろんパートかどうかは道で出会っただけでは分からないが、外観からの想像である。電車の中などでは、パートの女性は電車の中で勤務表を出して次の予定などを確かめていることが多いのでので、それでパートだと判ることが多い。

 またこの時間になると近くの幼稚園に子供たちを送ってくるお母さんたちで賑う。自転車で来る人が一番多いが、車で送ってくる人、歩いてくる人など様々である。幼稚園の周辺は一時混雑すると言っても良いぐらいになる。子供もはしゃぐが若いお母さん方も結構やかましく賑う。

 こうして朝のラシュアワーが過ぎて街も静かになったかと思う頃になると今度はデイサービスの車が回って来る。あちこちの施設の車が入れ替わり立ち代わりやってきて、あちらやこちらに止まっては老人を乗せて走り去って行く。また近くにあるデイサービスの施設には逆に二、三台の小型車が次々と到着しては老人を二、三人づつゆっくり降ろしては施設の中へ誘導していく。

 このような光景が終わるのがそろそろ十時頃であろうか。働きに出掛ける人たちが出払ったあとにここらの住宅に残っているのは殆ど老人ばかりである。ぼつぼつこれらの人たちが買い物などに出かける時間となる。通りは老人ばかりである。杖をついた人もいる。娘が車椅子を押していく老人もいるということでまるで老人の町である。

 買い物に行く人の多くはキャリヤー等と言われるバッグを引っ張っている。買った荷物をぶら下げて帰るのは大変で、やはりキャリアーがあると便利である。ここらでは乳母車形式のものを押している人や、三輪自転車を利用している人はあまり見かけない。時に途中にある昔からの自治会の小公園の椅子に座って一休みしている人を見かけることもある。

 こうしてその日の朝が過ぎ、いつしか太陽が中天を越えて西へ傾いて行く頃になると、幼稚園へのお迎え、小学生の下校などから始まって、今度は朝の巻き戻しのような順序で人びとが行き交い、次第に日が暮れ夜になり一日が終わることになるわけである。夜遅く疲れて帰って来るサラリーマンも忘れてはいけないであろう。

 夜と老人といえばここらは古い住宅地なので、一昔前までは寒い夜などに限って救急車のサイレンが聞こえ、隣の通りで止まったりして、その度また誰か一人老人が亡くなられてのではということが続いたものだが、古くから住んでられたお年寄りはもう殆ど亡くなられてしまったのか、最近はもうあまり救急車のサイレンも聞かなくなった。そしていつの間にか同じ通りで私が最長老になってしまったようである。

 この古い住宅街も町並みもそこに住む人達もすっかり変わってしまったが、道路だけはほとんど昔のままで、顔ぶれは一新されてもいろいろな人たちが行き来している。一日の時間によって通る人達の顔ぶれも違うことを観察したり、時代とともに移ろう人たちの姿を眺めてみることが出来るのも老人ならではの特権であろうか。