車内での食事や化粧

 先日会津若松へ行って東山温泉に泊まった時、温泉の湯船の入り口に場所がら白虎隊の学び舎にあったといわれる「ならぬことはなりませぬ」で締めくくった七ヶ条の注意書きが大きく掲げられていた。

 「年長者の言ふことに背いてはなりませぬ」に始まっていろいろ書かれているが、六番目に「戸外で物を食べてはなりませぬ」と書かれていた。

 そう言えば昔は食事は決まった場所でするもので、何処ということなしに食べたりするのは良くないことだとされていて、ふつう時間も決めず、家の外で何かを口にするような人を見かけることもなかった。

 戦後になってもその習慣は続いていたようで、有名な「ローマの休日」の映画でヘップバーンが街を歩きながらソフトクリームを食べる場面に驚かされたものであり、それ以来日本でもアイスクリームなどは歩きながら食べても良いものだと認識されるようになったような気がする。

 それからもう何十年も経って、今ではそんな古い昔の掟などすっかりなくなったようで、電車の中でも街を歩いていても、お菓子ばかりかおにぎりまで食べながら歩いている人を見かけることがあるというよりもそれが当たり前のようにさえなっている。

 長時間労働で寝る時間もない労働者も多い世の中、一日中時間に追い回されてゆとりのない人たちはゆっくり家で朝飯を食べる時間もないので朝出掛けにコンビニのおにぎりでもかって通勤の電車の中ででも食べていかないと仕事の時間に間に合わないようなこともあるのであろう。最近多いひとり暮らしの人たちなら時間があっても出勤の途中で買った朝飯を途中で食べるようにした方が都合が良いだろう。

 こうした方が確かに時間を有効に使える。効率が優先される世の中ではこの方が合理的である。いささか侘びしくもあるが、誰に迷惑をかけるわけでもなく自分さえ良ければそれで良いのではなかろうか。

 ロスアンゼルスのメトロに乗ったらやたらと禁止事項が多く、ここでは文章でなくサインでそれを示しているが、駐車禁止のようなサインが十ぐらいも並んで貼ってあるのが奇異に思われた。いわく、吸うな、食べるな、飲むな、捨てるな、などなど。日本よりはるかに幅広いいろいろな人がいるので放置するとたちまち車内が汚されてしまうからであろうか。

 そこへ来ると日本人は綺麗好きある。食べかすや包装紙などを車内に捨てる人は殆ど見ないので、満員電車などで他人に迷惑をかけるような場合ででもなければ、特別な問題があるわけでもなく、車内の飲食を行儀が悪いなどと言ってそう目くじらを立てる必要もないのではなかろうか。昔とは文化が変わっただけのことである。長距離列車では昔から駅弁もあるぐらいで汽車の旅行と車内での飲食はむしろ付き物であったのである。

 文化が変わったと言えば、食事だけでなく女性の車内での化粧も最近では普通になった。最近の化粧は念が入っているので時間がかかるであろうから一層時間の節約という点からすれば移動の途中で化粧をするのは合理的であろう。

 しかし化粧は本来他人に見られる前にして綺麗になってから登場するべきものだから

個人的に隠れてするのが当たり前であったはずだが、それすら効率化の世の中では守れなくなったのであろうか。あるいは化粧して登場すべき場所は別にあり、知らない人ばかりの電車の中は知人でもいない限り、まだ自分だけの個人的な世界なのであろうか。

 電車が混んでいると立ったまま化粧している人さえいる。それも口紅を引くぐらいのことではなく、次から次えとハンドバッグから化粧用の小道具を取り替え引き換え出したり閉まったりしながらアイラインを引いたりマスカラをつけたりと忙しい。ある時のこと、電車が終着駅についてもまで化粧の途中なのでどうするのかと見ていたら突然サングラスをかけて降りていったのでさすが慣れたものだと関心したことがあった。

 ただ化粧の場合は食事と違って、西欧でも化粧は隠れてするのが当たり前で、人前で化粧するのはそれをわざわざ見せつける娼婦と決まっているので、日本でもそう思われて実際に外国人から声をかけられた人もいるようなので注意した方が良いであろう。

 何処の国でも時代とともに文化も変わっていくものである、老人が若者の仕草にいちいち文句をつける筋合いはないが、文化の移り変わりの様子を静かに観察させてもらうことは老人の楽しみである。