二宮金次郎

 戦前の小学校には何処にでも校門を入った近くに二宮金次郎の像が立っていた。私の知っている限りではどれもあまり大きなものではなく、身の丈一メートルばかりの像が台座に乗せられているものであった。一説によると子供に一メートルとはどのぐらいの長さかを教えるために一メートルの身長ににしたとか聞いたことがあるが、真偽の程は知らない。

 二宮金次郎は江戸末期の実在の人物だそうで、子供の時に両親に死なれ、伯父に引き取られて苦労を重ねたが、よく頑張って成人して農政等に貢献した立派な人になったというので、明治になって山県有朋等が、自主的に献身奉公して国に尽くす国民を育成する模範として広めたと言うのが経緯のようである。

 実際には本人はあまり語らなかったが、多くの逸話のようなものが作られてそれが拡がって有名になったとか。名前も本当は金郎だそうだが金郎が普通で、尊徳とも書き「そんとく」と言われていたが、これも本当は「たかのり」らしい。

 それはともかく、おそらく誰しもご存知であろうが、その像は背中に薪の束を背負い本を読んで勉強しながら歩いている姿である。金次郎さんははこんなに仕事をしながらでも本を読んで勉強したので立派な人になった。お前たちははそんなに仕事をしないのだからもっと一所懸命に勉強しなければといって発破をかけるのに使われるのが普通だった。

 文部省推薦の二宮金次郎の歌まであり、子供たちはそれを憶え歌わされたものだった。今でも一番ぐらいは憶えている。

 

一 柴刈り繩なひ草鞋(わらぢ)をつくり、
    親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し、
  兄弟仲よく孝行つくす、
    手本は二宮金次郎

二 骨身を惜(をし)まず仕事をはげみ、
    夜なべ済まして手習(てならひ)読書、
  せはしい中にも撓(たゆ)まず学ぶ、
    手本は二宮金次郎

三 家業大事に費(つひえ)をはぶき、
    少しの物をも粗末にせずに、
  遂には身を立て人をもすくふ、
    手本は二宮金次郎

 小学校の二宮金次郎の像の近くには奉安殿があることも多く、ここには教育勅語天皇、皇后のご真影(政府から配られた写真)が入っていたので、学校の登下校のおりには必ず奉安殿を拝み、金次郎さんの像に挨拶して通り過ぎるように指導されていたが、実際には子供たちは先生がいなければちょっと頭をを下げるぐらいで通り過ぎていたようであった。昔の小学校には二宮金次郎はなくてはならない存在であった。

 時代も変わり、今ではもう二宮金次郎も古い話かと思っていたら、最近は二宮金二郎と同じような格好をしている人が多いのに気が付く。貧苦に耐えて勉強しているわけではないが、格好はそっくりなのである。

 背中にリュックを背負って歩きながらスマホに夢中になっている人を見るとつい二宮金次郎を思いだしてしまう。ゲーム等に夢中になっている人が多いのだとも言われが、仕事のために時間を惜しんでスマホで連絡や報告をしなければいけない人も多いのではなかろうか。

 あるとき電車に乗っていたら向い側の席にすわった人が急いで鞄の上にパソコンを開いて何やら遣り出した。そのうちにスマホまで取り出し、スマホを見てはパソコンに何か打ち込み、忙しくしているなと思ったら今度は左手で鞄の中からクッキイーのようなものを取り出し、パクパクほおばりながらもなおも一心に仕事を続けている。忙しいのだなと見ていたら、5〜6駅ぐらい経ったら、今度はあわてて道具をしまって急いで降りていった。寸暇を惜しんで仕事に励んでいる姿である。

 これこそ現在の二宮金次郎だと思った。金次郎さんもよいが現在のサラリーマンは運動もせず、金次郎さんの頃の比べると遥かに軟弱なのである。無理をして体を壊さないようにして欲しいものだ。

 それに金次郎さんの時には本を読みながら歩いてもせいぜい石に躓くぐらいであったであろうが、今では人にぶつかるならまだしも、車にぶつかっては大変である。歩く時ぐらいはスマホを見るのを止めた方がよいと思うがどうであろうか。