マウンテンゴリラ

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 先日、夢洲にある国際展示場INTEXで、世界の旅行博のような催しがあったので、野次馬根性で覗きに行って来た。トレードセンター前駅の近くなのを、コスモスクエアの近くだったと思い違いをしていたので、駅を降りて歩く人の少ないのに驚いたが、着いてみると、広い会場はどこも満員で、行列ばかりの大盛況であった。

 あまり広いので、前知識のない我々は、うろちょろするばかりであったが、たまたま出くわしたルアンダのブースで、ゴリラの映像があり、ゴリラについて話している人がいたので、空いた席に座ってゆっくり話を聞くことができた。これが仲々面白かった。

 ゴリラといえば、京大の学長をしている山際先生が有名だし、ゴリラの絵ばかり描いている人もいたが、その時話していた女性も、山際先生などのグループに入って、一緒にゴリラの観察に加わっていた人であった。

 これまで、ゴリラについては一定の印象は持っていたが、この時の話は実地に結びついていて興味深かった。ゴリラには大きく分けてマウンテンゴリラとロウランドゴリラの違いがあり、後者はまた東部に住む群とそれ以外のものとで少し違うということらしい。

 このうち観察されたのはマウンテンゴリラが主なようで、このゴリラは世界中のどこの動物園にも生息していないそうで、普通3000〜4000米といった山の上に住んでおり、季節をよって下へ降りて来るのだそうである。

 普通に動物園で見るゴリラと違って、寒い高地に適応して、厚い毛皮に覆われ、動き回る子供などは黒い毛玉のようにさえ見え、目だけが光っている感じだそうである。また、面白いのは歳をとると背中の一部が白髪になり、森の中で差し込む光に当たってきらきら光るのだそうである。

 人間の4倍ぐらいの大きさなので恐ろしいようだが、1970年代にアメリカの女性の研究者が接触に成功して以来、山際先生なども長年にわたって接触し、その生態を詳しく研究されてきたわけである。

 最初は人が来ると逃げるので、それを追いかけ、また逃げるのを追跡し、とことんそれを繰り返しているうちに、ゴリラの方も危険でないことを理解するようになり、人がいてもそれを無視して、平気で普通に行動するようになって行くのだそうである。

 スライドや動画で色々説明されたが、ゴリラが観光客がいても平気でそのすぐ横を通り過ぎて行く場面など圧巻で、自分が現地でゴリラに遭遇しているような気分にもなり、興味の尽きない素晴らしい話であった。

 会場には、世界中の色々の国のブースがあり、イタリアのブースでは丁度オペラ歌手がオオソレミヨを歌っているところだったりしたが、もうルアンダのゴリラで満足して、あちこちのブースの間を通り抜けて、早々に引き上げて来たのであった。

アイシャツ

 SNSを見ていて驚いた。アイシャツとあるので何のことかと思ったら、ワイシャツのことだった。ところが、その人だけの誤りか間違った思い込みかと思ったら、グーグルで引いてみると、アイシャツとしてワイシャツのことがずらりと並んでいて、広告まである。

 近頃はワイシャツのことをアイシャツというのかとびっくりして、ワイシャツの項を引いてみると、こちらも同じように沢山ワイシャツの記事が並んでいるので安心したが、アイシャツという言い方も今では広く使われているような気配である。

 もともと、ワイシャツは明治の初めに、外国人が背広の下に来ていたシャツを何というのか聞いた時に、White Shirtと答えたのをワイシャツと聞いたのが始まりで、ワイシャツとかYシャツと言われるようになったものらしいが、それがこの頃では、さらに進んで「ワイ」が「アイ」に変化しつつあるのであろうか。

 アイシャツでは、元の白が藍に染まってしまうようで、私は引っかかってしまう。でも、この頃は藍色のワイシャツを着ている人だっているのだからそれでもいいのかも知れない。日本では以前から色に関係なく、背広の下に着るシャツをワイシャツと定義してきたようなものである。

 「ワイ」という発音が「アイ」に変わっていく傾向はよくわかる。私の子供の頃は玄関は一般に「ゲンクワン」と発音されていたし、蝶々は「テフテフ」と書かれていた。言葉は時代とともにどんどん変わっていくものである。

 しかし、ワイがアイに変わると、猥談も愛談になるのかとふと思った。

カザルス弦楽四重奏団

 川西市のみつなかホールで、カザルス弦楽四重奏団の演奏を聴いた。自宅からは川を渡った先の兵庫県になるが、歩いて15分ほどの近くに700人程も収容出来るホールがあるのは有難い。そこの会員になっているので、案内を見て、時々演奏会や映画などに訪れている。

 カザルスというのはカタロニアの世界的にも有名なチェロ奏者であり、戦争に反対した平和主義者でもあり、彼が編曲したカタロニアの民謡である「鳥の歌」は戦後、国連やホワイトハウスでも演奏され、その折にカルザスが「カタロニアでは鳥はピース、ピースと鳴くのだ」と言った話は有名で、今も語り継がれているようである。

 今回の四重奏団は、そのカザルスと共に「鳥の歌」を編曲したラモン・トマスの息子兄弟がチェロとヴァイオリンを弾き、あと女性のヴァイオリンと男性のヴィオラという構成であった。

 まず最初にこの「鳥の歌」が演奏されたが、これがなかなか良かった。哀愁を帯びた歌で、殆どの人々が心から反戦平和を願ったあの戦後の時代の雰囲気にに引き込まれ、心を揺さぶられるような感じがした。

 その後は、ハイドンのクラシックな感じのする四重奏とベートーベンの四重奏が続き、休憩を挟んで、モツアルト、ベートーベンと弦楽四重奏をたっぷり聴かせて貰え満足出来た。

 私は音楽のことには無知であるが、ハイドンモーツアルト、ベートーベンと同じ弦楽四重奏を続いて聞くと、これらの巨匠たちの音楽の違いがわかる気がした。ハイドンは古い宮廷音楽を思わせるし、モーツアルトはさすがモツアルトと言われる如く、優雅で柔らかく達者だとでもいう感じに対して、ベートーベンはやはり勇ましい感じとでもいうべきであろうか。

 何はともあれ、歩いて行ける所で、気軽に本格的なクラッシック音楽を聴けることは年寄りにとっては、何よりも有難いことである。

中國音楽演奏会

 日中友好協会の招きで来日した、上海江南シ竹楽団という中国の伝統楽器による中國音楽の演奏会を聞く機会があった。

 12人の構成で来られ、年配の人間国宝と言われる楊琴奏者が団長格で、この方は一曲港演奏されただけだが、他の11人の演奏で、残りの曲を楽しませてもらった。

 中国の楽器の演奏については、二胡など個別の楽器による演奏は聞いたことがあるが、色々な楽器の合奏による室内管弦楽のようなものは初めてだったので興味深く聞かせてもらった。

 11人の構成はテーブルのような楊琴が真ん中に置かれ、左手に縦笛、横笛、ピーパと呼ばれる琵琶、三弦、それに中国琴が並び、右手には二胡が二人と阮咸と称する真ん丸の胴の弦楽器、日本のより大きい笙、それに後ろになって見えなかったが打楽器が一つ加わったものであった。縦笛と笙の二人だけが男性であとはすべて女性であった。

 真ん中の楊琴の女性がコンサートマスターの役割を果たしているようで、その人の合図で演奏が始まるが、西洋音楽のコンサート等と違い、演奏中の各演者の表情が豊かで、お互いにもうなずき合っているような仕草が印象的であった。

 曲目はこれまでにも聞きなれた中国らしいメロディの音楽が続いた後、この楽団が作曲したという、少し従来の中国風とは異なった響きの曲があり、終り2曲は日中友好を記念して日本の曲となっていた。

 なかなか素晴らしい演奏であったが、興味深く思ったのは、同じ琵琶でも中国の方が少し大きいようで、演奏も日本のものよりダイナミックだったし、中国琴がメインの曲もあったが、同じ琴でも指の動きも激しく、これでも同じ琴かと思われるぐらい躍動的で素晴らしい演奏であった。

 しかし、やはり中国音楽は古代からの五音、七声、十二律を用いる中国的旋律の伝統に基いているので、ファ音がないなどの特徴があり、日本の音楽を演奏するには難しいところがあったと説明されていた。

 音楽のことは詳しくないので、西洋音楽などとの比較などは出来ないが、中国音楽は昔から聴き慣れていることもあり、馴染深い面があるので、難しいことは別として、十分楽しませてもらえた。

 殆どの和楽器が昔大陸から伝わってきたものであろうから、同類の楽器を見つけ、その違いを確かめるだけでも楽しかった。

弥縫策

 二〜三日前だったか、朝刊に7月の参院選挙をめぐる「一票の格差」訴訟で高松高裁が「違憲状態」と判断したことが載っていたが、その見出しに大きな文字で『法改正は「弥縫策」、原告側「今後の判断期待」と書かれており、弥縫策の文字には丁寧に「びほう」とふりがなまで振ってあった。

 国会が2015年の公職選挙法改正で「19年の参院選に向けて選挙制度を抜本的に見直し、必ず結論を得る」とした付則を設けていたのに、今夏の参院選に向けた法改正では依然として3倍を超える格差があることを高松高裁が「弥縫策」と断じ「違憲状態」としたのであった。

 この判断が広がって欲しいものだが、新聞を見ていて、大きな弥縫策という見出しの文字にふりがなが付いているのに何か不自然さを感じて、思わず小さな声をあげたら、たまたま近くにいた娘が覗き込んで、「弥縫策って何、こんなの初めて見た、弥なんて『や』としか読めないじゃないの」と驚いていた。

 同じ驚きなのだが、全く違ったことに驚いたのである。私は弥縫策という見出しにふりがなのあることに驚いたのだが、娘は見たいことのない弥縫策という言葉が大きく書かれていることの驚いたようである。

 弥縫策などという言葉はいうまでもなく急場を取り繕って何とかしのごうといいう姑息な手段をいうもので、これまでもしばしば出くわした言葉で、当たり前のように使われてきているもので、大きな見出しにまでふりがなを振らねばならないようなことではないのにとも思ったのだが、もう今ではあまり使われず、若い世代の人には馴染みのない言葉になってしまったのかも知れない。

 それなら今では、どういうのであろうか。姑息的な応急手当てとでもいうのであろうか。或いはその場凌ぎ、その場逃れ策とでもいう方が多いのかも知れない。それにしても、現実の世界を見れば、政府をはじめ多くの役所などの対策には、根本的な見直しや対策が後回しになったまま、その時々の弥縫策でごまかされていることが如何に多いことであろう。

 最早、衣服などを縫い繕ったりすることは流行らなくなったけれども、他の言葉よりも的確に姑息な手段を的確に表現してくれる「弥縫策」という言葉はまだまだ使い勝手の良い言葉として残しておいても良いのではなかろうか。

 

災害避難所

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 昨年のことだったか、FaceBookでフイリッピンの災害避難所の写真(上の左下の写真)を見て、日本の災害時における学校の体育館などでの避難生活(右下の写真)と比べて、フイリッピンの方がプライバシーが保たれて良いなと思ったのだが、今年になってイタリアの災害仮設避難所の写真を見て、更に羨ましく感じた。イタリアではワインまで出るとかで問題になっているぐらいである。

 衰えたとはいえ、今尚経済大国であり、地震や台風、津波など自然災害の多い国なのに、どうして日本は災害といえば、学校の体育館や講堂での雑魚寝なのであろうか。板張りの大きな建物の中で、お互いに知らない人たちが雑魚寝の状態を強いられ、全くプライバシーも守られないような状態で何日も避難生活をしなければならないのである。

 おそらく、古くからの習慣で、近隣で一番広い空間が確保され、多くの人を収容出来る一番イージーな場所が、最寄りの小、中学校なので、いつの頃からか、何かの災害時にはそこを避難所とするのが習慣として続けられてきたのであろうが、もうそろそろ災害対策としての、避難所のあり方もここらで真剣に考え直すべき時が来ているのではなかろうか。

 今の避難所である学校や公民館などは、一時的に短時間避難して嵐が止むのを待つ待避所としては役立っても、およそ避難所として生活する場所としては出来ていない。個人のプライバシーが全く保てないし、給水、給食、トイレ、ベッド、椅子などの生活に不可欠な設備がないのが致命的である。

 生活の場を提供するのであれば、短時日にしろ、最低限のプライバシーが保たれ。休養、食事、排泄の設備が整ったものでなければならないであろう。地球の高温化の影響なのか、最近のようにあちこちで大きな災害が多発するようであれば、国民の生活を守るために、非常時に短期間であれ、せめて写真にあるフイリッピンやイタリアの例ぐらいの人々が避難生活を送れる対策を用意しておくべきではなかろうか。

 アメリカの言うなりに大金をはたいて役にたつかどうかもわからないイージスアショアや多数の戦闘機やオスプレイなどを買うより、その予算を回してでも、優先的にそのような災害対策を充実させて国民を守るのが先だと思うがどうであろうか。

 なお、今度の台風19号に際して、東京の台東区が路上生活者の避難所への入所を対象でないとして拒んだことは、最低の差別であり、人権無視で、人道上も許されるべきことではない。人間として強く糾弾されるべきものである。

 

日本選手の多様性

 最近はどこへ言っても外国人を多く見かける様になった。日本人と結婚している外国人も多くなったし、日本に出稼ぎに来ている人、日本に定住する様になった人たちもいる。それにその子供や孫たちもいるし、日本に生まれた外国にルーツを持つ人たちも増えた。

 そんなわけで、日本人と言っても、昔よりバラツキが大きくなり、色々多様な人を見かける様になった。テレビを見ても、外国人風のタレントも多くなったし、スポーツ選手などでも、色々なルーツを持った日本人の選手が増え、色々な分野でのそれらの人々活躍が報道される様になった。

 陸上競技など、日本人の体格から従来は短距離競技などあまり期待出来なかったが、今ではサニブラウン選手の様に10秒を切る選手がいるし、八村選手の様な長身のバスケットボール選手もいる。テニスでも大坂なおみ選手が有名である。

 チーム競技となると、サッカーなどには外国にルーツを持つ選手はさらに多数いるし、今世界選手権が争われているラグビーなどは、日本代表チームといっても、31人中15人までが外国出身の選手なのである。(出身地はトンガとニュージーランドが各5人、南アフリカが2人、韓国、オーストラリア、サモアから1人ずつ)

 ラグビーの場合は、日本国籍がなくても、本人が日本で生まれたか、両親・祖父母のうち1人が日本で生まれたか、3年連続、もしくは通算10年日本に居住しているか、この3つのうちどれかひとつの条件を満たせば、日本代表チームに選出される資格を持つことになるのだそうである。

 こういう多様性を持ったチームだからこそ、アイルランドを破り、サモアにも勝って、スコットランドまで破って快進撃をなし遂げたと言えるのではないだろうか。半世紀前頃までの日本人だけのチームでは、いくら技術が優れていても、体力的に競技でこれだけの成果を上げる事は出来なかったのではなかろうか。

 スポーツでこれだけ多様性が優れた結果を出していることを見れば、他の分野でも、色々なルーツを持った人々が集まれば、当然色々な優れた業績が現れるであろうことは想像に難くない。

 少子高齢化で、人口減が進む日本の今後を考えれば、外国からの移民を受け入れることも必要だし、外国との交流を盛んにして日本人の多様性を高めることが大切であろうと思われる。

 アメリカが種々の面で先進的な文化を形成出来たのも、世界中からの移民を受け入れて、国民の多様性があったればこそであるし、日本人の祖先も弥生時代などに、半島や大陸からの多数の人々が渡って来て、混じり合い、多様な人々の集団を作ればこそ、豊かな文化が育まれたのではなかろうか。

 国粋主義者などがよく言う日本古来のとか、独特のとか言っても、その元は色々な渡来人の混血なのである。島国にだけしか通用しない文化に小さく固まってしまっていては、この国の将来はガラパコスに向かうだけであろう。

 外国人を受け入れるのにもっと鷹揚でなければならない。当然文化の違いはトラブルを起こし易い。ヨーロッパで見るごとく、移民は多くの問題を起こすであろう。しかし、それを乗り越えた先に、大きな展望が開けることを期待すべきであろう。

 ラグビー選手を日向の大御神社に連れて行って、さざれ石を見学させて君が代を歌うような、まるで戦中の同化政策のようなことをするのでなく、日本の文化とともに、ニュージーランドやトンガの文化も一緒に学ぶことが大事ではなかろうか。

 スポーツ選手に対しても、人種偏見は強いもので、「差別するつもりはないけれど、A選手は『ハーフだから』応援したくない。純日本人のB選手を応援する」というような声が聞かれることが多い。かっこ内が、「ガイジンだから」、「黒人だから」に変わることもある。勝てば日本人、負ければガイジンや黒人になりやすい。

 これは外国でも同様らしく、トルコ系のドイツ人の選手が「勝った時にはドイツ人、負けた時はトルコ人と言われる」とか、コンゴ系のベルギー人の選手も「試合の結果が伴わなかったりすると、『コンゴ出身のベルギー選手』と呼ぶんだ」と言っている。

 日本代表のキャプテンを務めるリーチ・マイケル選手が、こんなことを言っているそうだが、これこそ聞くべき言葉ではなかろうか。

「これからの日本は、外国から来た人たちと一緒に社会をつくっていかなきゃいけない。ラグビー日本代表は、日本の社会に対して、いいモデルをつくれるんじゃないか。いいメッセージを発信できるんじゃないかと思うんです」と。

 外国の血を引く選手が多くなって強くなった日本ラグビーチームは今度は南アフリカには負けたものの、世界の8強に入ったことになる。今後も健闘を祈りたいものである。