琵琶湖テラス

 琵琶湖の西岸の山の上にある琵琶湖バレーというスキー場は手近に行けるスキー場として知られているが、スキーにとってはオフシーズンの気候の良い時も利用して貰おうとして、これまでも色々な工夫がされてきた。もう大分以前のことになるが、ベゴニアやペチュニアなどのお花畑にしていたのを見に行ったこともあった。

 そこが、いつからかは知らないが、今度は「琵琶湖テラス」と銘打って、気候の良い時にも、琵琶湖を眺めながらゆっくりくつろげる所として施設を整備し、宣伝しているのを見て、一度行ってみようかと思っていた。

 そこで、夏の終わり頃のある朝、思い立って早朝の電車に乗って最寄りのJR志賀駅まで行ったのだが、駅員さんにロープウエイが定期検査で止まっていることを知らされ、諦めて、折角そこまで来たのだからと思い、少し先の近江高島まで行き、そこで大溝城跡や乙女ヶ池、白髭神社の近くを散策し、古い町並みを見物して、古民家のレストランで食事をして帰ったことがあった。

 そんなこともあったので、先日出直して、改めて琵琶湖テラスの見物に行ってって来た。JRの駅からロープウエイの駅までのバスには10人そこそこしか乗っていなかったので、大した人出ではないように思ったが、ロープウエイの乗り場に着くと、開場に合わせたバスであったのに、切符売り場は既に長蛇の列で驚かされた。

 殆どの人が車で来ているようで、麓に近い所からいくつも駐車場があり、それぞれからロープウエイ乗り場までのシャトルバスも運行しているようであった。観光バスで来ている団体客もいた。結構人気があるらしい。

 ロープウェイ乗り場は満員であったが、ロープウエイのゴンドラが120人乗りと大きいので、思いの外、早く乗れた。ロープウエイはケーブルカーより急峻な、最高で37度とかいう角度で登り、約5分で頂上へ着いた。

 山上には、ロープウエイの駅に連絡した建物が出来ており、食堂や喫茶店もあり、窓越しの眺望も考えてあり、建物の外には割合広いテラスが何面か作られており、どこからでも琵琶湖の眺望が楽しめるように作られている。建物の周りには遊歩道も整備されており、散策しながらの景色も楽しめるし、少し足を伸ばして、リフトを乗り継いで蓬莱山の頂上までも行ける。

 広めのテラスに立つと、何処からでも同じように、まるで天空から見下ろすかのように、琵琶湖を一望することが出来る。琵琶湖に浮かぶ沖島や、琵琶湖大橋も見えるし、琵琶湖の対岸の霞んだ山々の上には、何ものにも遮られない広大な天空が広がっている。

 何もしないで、テラスの椅子に座っているだけでも、まるで天空の中にいるような気分で、思わず胸いっぱいに空気を吸い込んで深呼吸したくなる。何も忘れて360度のゆったりとした雄大な景色の中に溶け込んでいるだけでも気持ちが良い。

 それに次から次とテラスにやって来る人達が、順にそれぞれ好きなポーズを取っては、琵琶湖を背景にして写真をとるので、それを眺めているのも楽しい。明るい天空の背景の中に、人物だけが逆光で浮かび上がるので、そのそれぞれに違ったシルエットを眺めているるだけでも楽しい。

 ここでは特別な催しがるわけでもなく、とりわけ変わったことをするわけでもないが、ただテラスに座って、天空の広々とした世界の中で胸いっぱいに空気を吸って、ゆったりしているだけで、天国へ来たかのように、都会の生活では味わえないゆったりとした心地を感じることが出来る。それだけでも来た価値があると言えそうである。

 時間があれば、一度はこの山の上まで登って来て、琵琶湖を眼下に見下ろしながら、この広々としたゆったりとした気分を味わってみてはどうでしょうか。

老人を働かせるコマーシャル

 テレビのコマーシャルを見ていると、ひどいものがあった。

 定年退職をした男性がベッドで寝ていると、娘が掃除機を持ってやってきて、「お父さん、またトロトロ寝ているの。起きなさいよ」と言ってたたき起こす。

 何のコマーシャルかと思ったら、急に画面が変わって、何処かの人材派遣会社の名前が出て、老人対象の警備員や他のパートタイマーの募集広告になった。

 若い時からよく働いて、年金もちゃんと払って、無事に定年を迎え、これからやっと楽が出来ると思っていたら、すっかり時代が変わってしまっていた。

 今や定年は延長され、それに合わせて、年金支給の開始も遅くなり、せっかく定年万歳と思っていたのに、ゆっくり出来るどころか、年寄りが鞭打たれて働かざるを得ない、年寄りいじめの時代になってしまった。

 若いうちからしっかり働き、年金もちゃんと払い、定年になれば、それで食べて、老後を好きなようにゆっくり過ごせる予定だったのに、すっかり当てが外れ、まるで詐欺にあったようなものである。

 定年までの期限つきで、老後の楽しみがあったればこそ、残業にもめげず、睡眠時間まで削って、夜まで会社のために働いてきたのに、少子化高齢化の時代になって老人が増えたし、その上近頃の年寄りは元気で定年を過ぎてもまだ働ける人が増えた。

 真面目に働いて来て、定年を迎えた者は言いたくなる。「働けるのだから年金開始は遅らしても良いだろうだって。約束が違うじゃないか。それに、一概に老人は元気だと言っても、皆がそうじゃないんだよ。若者と違って、老人は人によって皆違うのだ。」

「確かに昔より元気な老人が多くはなったが、現役の時に働き過ぎて体を壊した奴もいるし、そうでなくても、早く歳をとってしまった者も多い。これまで一生懸命働いたのだから、ここらでちょっとは楽させてくれよ。人生も残り少なくなって来たのだからさ。」と。

 テレビのコマーシャルはそんなことには耳も貸さずに、寝ている老人を無理やり引っ張り出して、働かせようとしているかのようである。人口減少で人手が足りない世の中、政府が遊んでいる老人や女に目をつけない訳が無い。足腰の弱ったヨボヨボの年寄りまで巻き添えを食うことになるのも必定である。

 老人よ。折角これまで社会のために貢献して来たのだから、せめて人生の最後を老身に鞭打って働くようようなことをしなくても、ゆっくり過ごして人生を終えられるように出来ないものかと主張しようではないか。

追伸:テレビで安倍首相が65歳を超えた老人の80%の人が働きたいと言っていると話していたが、大抵の老人はお金がないので働かなくては仕方がないと思っているのであって、出来ればゆっくり老後を楽しみたいと思っているということがわかっていないのである。

消費税増税は増大する社会保障費のためか?

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 新聞によれば、経団連 中西会長は消費増税について聞かれて「非常によいこと 歓迎する」と言っている。

 それに対して国民の方からは、SNS上で、‪「そりゃあ、消費税は社会保障のためではなく、法人税減税のための税金だからね。こんなにわかりやすいコメント、ないですよ。」という声が上がっている。

 一番わかりやすいのは、れいわ新撰組山本太郎が示している上の写真であろう。、所得税が減っている分以上に消費税を増やして、法人税を減らしていることがわかる。これは今回の増税以前のことなので、今回はもっとひどいことになるのではなかろうか。

 もともと社会保障費のためとして始められた消費税であるのに、社会保障は良くなるどころか、最近ますます切り捨てられ、貧弱になっていっていることは下の図からわかるであろう。

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 少子高齢化社会保障の維持が困難な状況に追い込まれてきていることはわかるが、そのための消費税導入ではなかったのであろうか。下の図にあるように「国家詐欺だ」という気持ちもよくわかる。

 内部留保ばかり増やしている大企業への減税をやめ、アメリカから膨大な軍事費を使って大量の戦闘機を買ったり、イージス・アショアに大金を払ったり、アメリカで余って困るトウモロコシを引き受けるような無駄使い‬を減らして、その分を社会保障の充実に当てるのが、国民のためではなかろうか。

 トヨタなどの輸出大企業への消費税の還付金は、日本を代表する製造業13社だけでも約1兆円-。安倍首相の消費税10%への増税宣言で国民・中小業者にさらなる負担が押し付けられようとする一方、輸出大企業は消費税を1円も納めていないのに、莫大な還付金を受け取っている実態が明らかになっている。

 どう思いますか?

 

10月なのに33度

 昔から「暑い寒いも彼岸まで」と言われて来たが、今年はもう彼岸が過ぎて、10月の衣替えの時期だというのに、なお連日30度以上になる日が続いている。

 先日あったニューヨークでの国連総会で、スエーデンの16歳の少女が地球温暖化に対する大人たちの責任を追求する演説があったり、アマゾンの熱帯雨林の火災に絡んでの温暖化についての議論があったりしたところだが、この今年の異常な暑さもこの地球温暖化の一環であろうか。

 最近ではテレビの気象予報も当たり前のように、淡々と「30度を越えます、熱中症に気をつけて下さい」と言うだけだが、今年のようにいつまでも暑さが続くのは尋常でない。念の為、これまでの気象庁のデーターを調べてみても、確かに今年は異常である。昨年まで、例年10月になって気温が30度を超えるようなことは見られていない。例年10月ともなれば最高気温でも20度台には収まって、秋を感じていたことがわかる。  

 ただし、例外もある。今世紀になってからの10月の気温をずっと調べてみると、思い出せないが、2013年は暑かったようで、10月10日が31.6度で、それまで断続的に30度を超えている。それ以前では、2004年に10月1日だけが31.3度となっている記録もある。

 そんな例外もあるので、慎重さも必要であるが、地球全体のCO2排出量の増加や、北極の氷の減少、その他の色々な話を総合すると、やはりこの暑さは地球温暖化のせいではないかと疑うべきであろう。

 今年はもうなんとか終わるであろうから良いとしても、来年以降のことが心配である。さしあたり来年の夏には東京でオリンピックがある。一番高温多湿で40度近くにもなりかねないところで、果たして屋外競技など出来るのであろうか。選手ばかりか、観客の方にも、大勢の人混みの中で、熱中症で倒れる人も出るのではなかろうかと心配である。

 オリンピックを別にしても、将来この調子で地球温暖化が進み、夏の猛暑がより激しく長い間続くようになれば、どういう世界になっていくのであろうか。両極の氷が溶けて世界中の海面が上昇し、太平洋の島国が水没し、埋め立て工業地帯が巨大な防潮堤の嵩上げで持たせても、海水の蒸発などで気象状況が乱れて、台風や大雨などによる災害の頻発などに見舞われることにもなりかねず、人類文化の危機がやってくる恐れも大きくなるのではなかろうか。

 そんな大きなことを考えなくとも、老人は寒さにも弱いが、暑さには余計に弱いようである。来年も、再来年も、また40度に近い蒸し暑い夏がいつまでも続くのかと思うと、もうオリンピックどころではない。もう勘弁してくれと言いたくなる。

 このところ熱中症で死ぬ老人が多い。私の知人も一人ならず、夏に弱って死んでいる。私も今年の暑さが応えたのか、夏の終わりにはなんとなく疲れが出て、歩くのが遅くなり、早く歩こうとするとヨタつくようになった。

 まだ若い頃に、今なら熱中症と診断されるのではないかと思われる、脱水で意識をなくし、点滴だけで回復た老人を診たことがあるが、意識がなくて全く苦しそうでなかったので、死に方としては悪くないかも知れない。

 これ以上に暑い夏が続くようになれば、何ヶ月も蒸し風呂の様な中で我慢するより、或いは参考になるかも知れないなどと思ったりもする。

べーシック・インカム導入を考えては

 先日新聞で「ひきこもり」についてに論説が載っていた。その中に、自分を引きこもり名人という人の意見が載っていた。

 その人によると、「ひきこもり」は「現代の生存戦略」で、学校でも職場でも、過剰なまでに忍耐を強いるこの世の中では、命を守るために一定数の人がひきこもってしまうのは当然ではないかと言い、「ひきこもり」は厳しく無駄の多い労働環境に対する「人間ストライキ」とも言えるのではないかという。

 今、官民でひきこもり対策として就労支援が盛んだが、「市場価値のある値段のつく人間になるなら支援します」という条件付きである。ひきこもって自分を「働ける人間に直さなければ」と思いながらもままならず、もう「死ぬしかない」と思っている人に「訓練して稼げるようになれ」というのはあまりにも飛躍しすぎではないか。

 むしろ、先ずは最低限の生活保障をするから安心して引きこもっておれる社会を作ることが先であろう。そうすれば、自然と自分にあった何かをして社会の貢献しようということになるのではなかろうか。

 効率優先で、ゆとりの失われた社会が引きこもりを生んでいるのであり、これまで気がつかなかったが、なるほど最低限所得保障(ベーシック・インカム)のような制度があれば、心身ともにゆとりが生じ、ひきこもりの予防にもなるし、たとえ、「ひきこもり」になったとしても、新たな可能性の開発にも繋がり易いのではなかろうか。

 世界的に見ればベーシック・インカムの実験を既に行なっている国もあり、失業保険や生活保護法、失業保険、老齢年金など多岐にわたり複雑になった行政の簡素化にも繋がるし、今後のAIの発達による行政の省力化、効率化が進めば、十分実現可能な施策となりうるのではないかと思われる。

 ベーシック・インカムの検討は日本ではまだ進んでいないが、これが制度化すれば、社会のゆとりが出来て、慢性疾患や、精神障害その他を生じた時にも安心して休めるだけでなく、かえって個々人が自分の好きなことに挑戦しやすくなり、世の中の発展にも寄与することになるのではなかろうか。

  隣国とトラブルを起こしたり、軍備を増強し多額の兵器を購入したりするより、社会保障としてベーシック・インカムなどを考える方がずっと政府が優先すべき課題ではなかろうか。

Face Bookの投稿より

 

 FaceBookには色々な人の色々な意見が載っていて面白いが、今日は最近のFaceBookに載っていた、この国の将来を心配する人たちの訴えを繋いで見てみることにしたい。

A 氏:原発セールスは全て失敗、対ロシア外交ではプーチンに小馬鹿にされて北方領土問題無視、北朝鮮問題は「蚊帳の外」、日米FTA交渉ではトランプ大統領の要求通り、そして理屈が組み立てられない対韓輸出規制でまた大失敗、提灯マスコミだけが“やっている感”演出。アホすぎる。

B氏:【この国は確実に壊れている】戦後74年 真綿で絞められるような息苦しさ 森友捜査終結、「表現の不自由」に公権力、かつて侵略した隣国憎し、民主主義への侮蔑、メディアの萎縮、忖度から、いよいよ大本営礼賛報道へ 「アベ政治」の暴走を許せば行き着く先は戦争国家だ。

C氏:平成の30年というのは、中間層が瓦解し、貧困層が拡大し固定化されていくという最悪の30年だったということを歴史に明記すべきです。

令和というのは階級社会となった日本人がそれを切り拓いていけるか、さらに貧困が極まっていくかの分かれ道の時代と思います。覚醒なき呻吟だけはご免です。

D氏:国民の血税で過剰接待したうえに、トランプ大統領の要求を全部飲む安倍首相ほど反日な男はいない。なにしろ日本国民の生命・財産をアメリカに売るんだからね。ネトウヨは日本を批判する者を反日だとバッシングするくせに、支持している安倍こそが反日なのにそれに気がつかないのはどうかしているんじゃないか。

E氏:日本人が先の戦争の敗北を正面から見つめるのは辛い。だが、日本は間違った戦争をした結果負けた、という事実を認めなければ歴史からの教訓はない。大東亜共栄圏は虚像であり、東京で胡坐をかいていた大本営中枢が、無思慮な計画で軍民340万人を死なせたのだ。敗戦を認めなければ同じ過ちを繰り返す。

F氏:こんな日本で「日本人であることを誇りに思う」という人の誇りって何だろう。米国の言いなりになって戦後74年も経つのに国家としての主権すら回復できず、再び戦争する国になろうとしている。またこの30年経済は没落して所得格差が拡がり貧しい人が増え差別が横行し、優しい国ではなくなったのに。

 以上の投稿はいずれも、この数日の間のFace Bookから、それもat randamに拾ったものに過ぎず、この他にも意見は多く、全く違った立場の意見もあろうし、中にはネトウヨがらみの投稿もあるが、意見として真面目に考えた纏まったものの中から適当に選んだものである。

 それでも現在の日本がどのような位置にあり、どちらに向いて進んで行こうとしているのか、それについて筆者がそれなりに危惧している点がよくわかる。筆者共々に、この先この国がどうなっていくのか憂慮しているところである。

 

忖度

 森友学園問題以来”忖度”という言葉が流行っている。どこの国でも多かれ少なかれ、他人の意向を推し量って、それに同調する行動をとるようなことはあるのだろうが、日本では昔から人の移動の少ない島国での農村社会だったためもあるのか、殊の他”ムラ社会”による同調意識が強く、同調出来ないものは仲間はずれや村八分などということにされてきた。

 私の子供の頃には、何かにつけて「大人になればわかるよ」と言われたし、少し大きくなってからも、少数意見の”正論”を言ったりすると「大人になれよ」と言われたりしたものである。

 そういったムラ社会に同調することが「大人になる」ことであり、周囲と協調して上手く生きることだと教えられた。自分を殺し、周囲に”忖度”し、その中で如何に生きるかが生活の知恵とされてきた。

 以来、世の中は随分と変わってきたが、この忖度の大事なムラ社会の生活は今なお形を変えて続いている。自民党政権が維持されているのも、そのおかげによっているところが大きいとも言える。

 どんな政策にしてもお金が絡む。関連する業界団体などは競争に勝ち残り発展するためには、少しでも政府の意向に沿った構想を立て、業界団体の意思を統一して政府に取り入らねばならない。

 そのためには、もともとムラ社会の伝統を持った業界が、その利益のためとして関係者に同調が求められ、異論は封じられる。個々のメンバーにとっては生活がかかっているので、心の中ではどう思っていても、異論は伏せて、表面的には大勢に同調することになる。

 どの業界団体にしても似たりよったりで、このムラ社会の利害関係が自民党支持の最大の組織となっているのであろう。個人は進んで組織に忖度し、組織は政府に忖度してことをスムースぬ運ぼうとすることになる。

 戦時中の放送局でも、上からの強制がなくとも、「放送報国」を掲げ、放送現場は戦意を損なうニュースや表現を、検閲される前に自ら削るのが日常となり、後は上からの指示通りに、戦意高揚や偽りの戦果などを流すことになっていたようである。

 しかし、これは今でも同じである。組織の中で生きるためには、上からの圧力がなくとも、周囲に同調して上にも忖度して問題なく過ごすことが求められる。自分の良心に沿ってどうしても同調出来ない時には、森友学園問題での近畿財務局での職員の自殺というようなことにもなりかねない。

 最近のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の慰安婦像をめぐる中止事件でも、河村市長や大阪の松井知事、菅官房長官などの関与は否定出来ないが、この表現の自由を脅かしたものは、むしろ現場側が忖度をしたり、トラブルを避けようとしたりして、結果的に特定の表現が排除された結果となったもののようである。

 この国では直接の上からの圧力だけよりも、それによって間接的に一部の世論を動員して、一定の雰囲気を盛り上げ、多くの人々にそれを忖度させる方法が、世論を操作する有効な方法だと言えるのかも知れない。政府の力は圧力をかけて忖度させることのようである。