外見と中身

 私の古い友人が老人施設に入っているというので見舞いに行った。何でも、何処かが悪くて病院を受診したら、「そこから直行で、ここへ入れられてしまった」と本人は不満顔であった。 奧さんと娘さんの三人家族だが、奧さんは大腿骨の骨折などで車椅子生活の後、他の老人施設に入っておられ、お嬢さんは東京で仕事をしておられる。

 比較的広くてゆったりした個室に入っていたが、病気のことについて尋ねても何も言わないので、どういうことで入ったのか分からない。外見上は目立って悪そうでもないし、「勝手に抜け出して家へ帰ってやろうか」などと言うぐらいであった。

 どうもお嬢さんの仕事が忙しい最中で、一ヶ月ぐらい経つと、ひと区切りがつくようだったので、足が悪いと言っていたので、それまでの間、家で一人で生活させるのは無理なので 、ここへ入れられているのかと思った。

 従って、「一ヶ月辛抱しろよ、その間あまりじっとしていたら、かえって体に良くないから、なるべく部屋の中だけでも動いたり、本を読んだり、スケッチでもしたりしては」と動くことを勧めて帰ったのだが、少し不審に思ったのは、外出は出来ないし、室内以外は車椅子で移動することになっているというのが何故だか分からなかった。

 ところがそれから一ヶ月以上たって、お嬢さんの仕事が一段落ついて、大阪へ戻ってこられたのに、電話をしたらまだ入ったままだという。丁度また見舞いに行こうかと思っていた時に、お嬢さんから連絡があり、2〜3日前にそこで会うことになり、医師の説明を聞くので一緒に聞いて欲しいということで、説明の場にも同席させてもらった。

 そこでMRIの画像を見せてもらってびっくりしたが、それで事情がわかった。外見は昔とあまり変わらないのに、中身は全くと言っても良い程に違っていた。前立腺のガンが元らしく、そのあちこちへの転移が凄まじい。もう言葉で説明を聞くまでもない。全ての疑問が氷解した。

 先に病院を受診した時点で、既に多発性の転移を伴ったガンで、手術は不可能、抗がん剤やレントゲンその他の治療も効果はあまり期待出来ない。90歳という年齢も考えれば、緩和療法が一番良い選択肢だということになり、今の施設へ即刻入ることになったのであろう。

 そういえば私も迂闊だったが、この施設はペイン・クリニックの上にあり、ペンクリニクの医師が診ている緩和病棟に当たる施設だったのだ。本人が自分の病気のことをどれだけ理解しているのか分からないが、医者として診るのと、ただ友人として接するのとでは違うものであることを痛感させられた。これなら本人は知らない方が良いかも知れないとも思った。

 入った時から歩けるのに車椅子を強いられていたのも、脊椎への転移が強いためであったのであろう。最初に見舞った時には部屋の中では歩いてもいたし、少し動いた方が良いのではと言ったら、以前から木刀の素振りをしているので、それを取り寄せたりしていたが、先日は車椅子に座り切りだったし、以前より元気がなかったのは、その間にも病状が進んでいたためではなかろうか。

 おそらく面会に行った時には弱音を見せまいと、無理に張り切っていたので、余計に元気そうに見えたのかも知れない。今の所見からでは、そのうちに急速に動けなくなくなる日がやってくるのではなかろうか心配である。

 お互いの歳のことを考えると当然かもしれないが、元気だった友人がまた一人こんな風にに弱っていくのを見るのは辛い、残念であるが仕方がない。せめて、また今度会える時までは元気でいて欲しいものである。

卒寿のクラス会

 大学の同期の卒業生の同窓会に行ってきた。と言っても、卒業以来いつしかもう64年も経って、多少のズレはあるものの、もう皆が卒寿を迎えた老人たちの集まりである。

 長い間に、120名いた同期生も次々と亡くなり、残りはだんだん少なくなってしまった。私の特に親しくしていたも友人たちもいつしか皆死んでしまって、最早若い時の思い出話を語る相手も一人もいなくなってしまった。

 当然、同窓会への出席者数も年々減っていく。昨年には同窓会ももう止めようかという提案があったが、反対の方が多かったので今年も何とか開くことになったが、この一年にも4名が新たに亡くなり、出席者は15名だけとなった。

 欠席者もいるから、生存者の割合はおおよそ2割ぐらいというところであろうか。男の平均寿命が80歳そこそこということから見れば、まあ大勢がよく生きている方ではなかろうか。

 それでも、この歳になると、一年一年会うごとに、皆が歳を取り、弱って来ている姿を痛切に感じさせられる。死ななくても、昨年来ていて今年は来ていない者もいる。若い時なら何かの都合での欠席だろうというところだが、この歳では、もう弱ってしまって、出て来れなくなった者もいるだろう。

 本人は元気な積もりでも、安心のために奥さん同伴というのもいるが、奥さんに付き添われてやっと何とか出て来れた人もいる。

 老人介護施設に入っている者もいるし、サービス付き高齢者住宅に住んでいる者もいる。外見からしても、元気な者もいるが、痩せてフレイル、サルコペニアと言われるような者もいる。ガンを抱えている者もいる。それ程でなくても、背中が曲がり顔貌からもいかにも歳をとったと思わせる者もいる。

 元気そうな者でも、耳が遠い者が多いので、遠方からの呼びかけの聞こえないことも多いし、そうかと言って、マイクを使うと響いて余計に聞きずらいようである。

 出席者一同が順番にそれぞれの近況などを喋ったが、しどろもどろで要領を得ない者もいるし、とりとめもない話し方が続くことや、付き添いの奥さんが何度も助けを出さねばならないこともある。聞いている方は自分に照らして黙って聞いているが、昔はしっかりしていたのにすっかり衰えてしまった友の姿を見るのは辛い。

 また、途中の連絡で聞いたのだが、この同窓会のために家を出たのだが、会場まで辿り着けずに自宅へ引き返した者もいた。彼は以前の別の会の時も、出席の返事のまま現れなかったこともあったので少し心配である。

 そうかと言ってまだ元気で仕事を続けている者もおり、年をとる程人によるバラツキが大きくなる。ただ、気がついたのは、全般的に、こうした傾向が一年ごとに進んでいくのがはっきり読み取れたことであった。人によって異なるが、誰しも、冷酷に去っていく年月とともに、体力、気力が衰えていくのは如何ともしがたいようである。

 来年のこの会をどうするかの話では、同窓会があればそれが励みにもなるという意見もあり、とにかく来年は、会を昼にすることで、一応続けることに決まった。しかし、来年は何人出てこれるか、その後はどうなるか。遅かれ早かれ、そのうちにはこの同窓会も終わることのならざるを得ないであろう。

 寂しい限りだが、自然の掟に従うよりない。

道徳教育

 この春から道徳教育が小学校で正式の教課として取り上げらることになったそうである。個人の生き方や内面に関わることを学校で一律に教えることには大きな問題があるが、政府は学校教育の面でも益々戦前回帰路線を進めようとしている。

 道徳教育というと戦前の「修身」のことを思い出す。どんな内容だったか最早正確には思い出せないが、教育勅語を基本としたような話で、いろいろな”偉い人”の話があって、それを見習いなさいと言わんばかりの授業だったような気がする。

 個々の話はほとんど覚えていないが、「修身」に関して一番思い出すことは、中学を卒業してから、海軍へ行って、負けて帰ってきた後、まだ戦後間もない頃に、母校を訪ねた時のことである。

 どういう用事で行ったのか忘れてしまったが、職員室へ行くと、何人かの教師たちがストーブを囲んで色々談笑していた。そこにかっての「修身」の教師がいて「わしら修身など教えたが、今頃そんなことやってたら生きていかれへんわ」と言って驚かされたことが今も忘れられない。

 当時はまだ戦後の焼け野が原の街で、闇市が全盛だった時代である。教科の「修身」は占領軍の命令ですでに廃止されていたのではないかと思われるが、およそ「修身」の教えを守っていては生きていけない世の中であった。それこそ、他人のことなど構っておれず、闇市、買出し、筍生活、物乞い、売春、たかり、詐欺などなど、個人がそれぞれの才覚で、何とかやりくりして、どうにか日々を送るというような有様であった。

 およそ修身とは反対の世の中であった。そんな時代でも何とか皆がやりくりして生きていけるようにするのが道徳であり、教えられた「修身」が如何にインチキで価値のないものだったのかと思ったものだった。

 そういう経験からすると、「修身」が「道徳」に変わったところで、いかに薄っぺらで実際にはあまり役に立たないものを強制して、成功しそうもない従順な国民を再び作ろうと企図するのかと政府の方針を冷ややかな目で見ないでおれない。

 最近の朝日新聞に「道徳どう教えれば」というオピニオン欄があり、そこに道徳の教材の「手品師」という話が載っていたのでそれについて見てみよう。

「売れない手品師がある日、孤独な男の子と出会い、手品を楽しんでもらう。次の日も会う約束をするが、手品師にはその日、大劇場での仕事が舞い込む。手品師は迷った末、大劇場ではなく男の子との約束を守る」という内容の「誠実さ」について学ぶ単元があるそうである。

 私でなくても多くの大人なら、男の子に断って仕事へ行くのが普通ではないだろうか。折角の仕事のチャンスを逃しては将来生きていけないかも知れない。男の子の父親でも恐らく子供に断って会社の仕事にいかねばならないだろう。

 新聞でこれを取り扱った先生は、手品師が迷うところで読むのを中断し、各自に結末を考えてもらうと、様々な意見が集まるそうなので、多様な考えの人がいるのが分かると言っている。それの方が良いだろうが、教科書に結末が書いてあれば、子供達はどう思おうとも、忖度して教科書の記載を「正解」とするよう強制されることになるであろう。

 子供達はここで父親との約束を思い出すかも知れない。そして教えられた「誠実さ」と現実社会での「判断」(身の処し方)の乖離を学ぶことになる。同じようなことを繰り返して行くうちに、人生では表と裏を使い分けねばならないことを悟って行くようになるかも知れない。

 絶対に正しい道徳があるわけでなく、皆が自由に生きるために、お互いの自由を認め合うことを教えるべきで、一定の価値観を押し付けるべきではないだろう。「いじめ」をなくそうとしても、大人の世界に「パワハラ」などの「いじめ」があれば子供の「いじめ」もなくならないであろう。

 戦後にあれほど否定された「修身」を再び持ち出して”礼儀正しい従順な国民”を育てようとしても意味のないことで、時代錯誤であることを知るべきであろう。それより先ずは、大人同士が対等に自由に話せる環境を作ることの方が大事なのではなかろうか。

 

童謡は今や老謡

 我々が子供の頃に流行り、長く受け継がれてきたと思っていた童謡も、世の中がすっかり変わって今の子供には通じなくなり、最早老人だけが昔を懐かしむ歌になってしまっている感がある。

 例えば、童謡では代表的な「故郷」というのがある。「うさぎ追いしあの山、小鮒釣りしかの山、夢は今も巡りて、忘れがたき故郷」という、この国の大人なら誰しも子供の時に習った有名な歌である。ところが、最近ある小学校でそれを教えたら、生徒から「先生。兎って美味しいんですか」と聞かれたそうである。

 野山で兎を追いかけた経験もなく、動物園でしか兎を見たことのない子供にとっては「うさぎおいし」と聞けば「兎って食べたことがないけど美味しいのかな」という疑問が湧くのも当然であろう。今パソコンで「うさぎおいし」と打てば「兎美味し」と変換されて、「追いし」よりも「美味しい」が先にくるのだから、子供の疑問も当然であろうかと思わされた。

 もう今では、山で兎を見る機会もないであろうし、小鮒を釣れるような小川もない。人の住む都会の近くの山は全て開発されて、住宅が広がり、広い舗装道路が走ったりして、兎が住める空間も殆ど無くなってしまった。小川はコンクリートで固められ、危ないからといって鉄柵などで囲まれて人を寄せ付けない。もう今では大人でさえ、若い世代の人たちでは、歌のような「忘れがたき故郷」のイメージを持った人も少なくなってしまったのではなかろうか。

 私ですら都会育ちで、親も早くに故郷を出ているので、故郷と言える所がなく、子供の頃には友達が盆や暮れに「田舎へ帰る」とはしゃいでいるのを聞く毎に、帰る田舎のないのを嘆いたことを今でも覚えている。

 それでもまだ、実際に兎を追った経験はある。小学校の時、学校から箕面の六個山へ行って、生徒たちが山の中腹から大勢で山を取り囲み、皆で声を出したり、木や草を揺すったりして、穴から兎を追い出し、下へ逃げないようにして頂上に向かって追い立て、皆でだんだんと輪を狭めていって、兎を頂上に追い詰め、最後に先生が兎を捕獲するということをしたことがあった。

 そのように、その頃は大阪の郊外でも箕面あたりには、まだ自然がたくさん残っていた。山へ行けば、トンボや蝶々も多く、昆虫採集が盛んだったし、猿や鹿を見かけることもあった。川床へ降りられる場所も多く、小魚を掬ったりして遊んだ思い出もある。

 そのような子供時代の体験があるから「忘れがたき故郷 」も自然に心に響くのであろうが、子供の生活がすっかり変わり、テレビやスマホやゲームなどに囲まれ、スポーツや塾通いなどに時間を追われ、山や小川などの危険な?場所から締め出されてしまっては、子供時代の思い出も「忘れがたき故郷 」とはおよそ違ったものになっているのではなかろうか。

 他の童謡にしても、多くは大正から昭和にかけて作られたもので、その頃の世間の風物を取り扱っているものばかりである。「赤とんぼ」と言ってもいまでは殆ど見かけないし、「メダカの学校」もメダカは今では殆ど絶滅奇種である。「雨降り」と言っても「蛇の目のお迎え」の分かる子はいない。「鯉のぼり」でも「いらか」と言っても通じない」し、「焚き火」は最早一般には禁止されている。

 こう見てくると、大正から昭和にかけて作られ、学校で広められた「童謡」もそろそろその役割を終える時期が迫ってきているのではなかろか。これらの童謡が今一番喜ばれて歌われているのは子供ではなくて、老人ホームだそうである。それぞれに違った人生の生活体験を経て来た老人たちにとって、共通して一緒に楽しめる素材としては童謡が打って付けなのであろうか。

 それぞれの老人が子供時代を振り返って皆が一緒に懐かしく思えるのが童謡なのであろう。子供時代に戻って童謡を歌うことに反対する人もいないであろう。どこの施設でも、一緒に歌う機会があれば、皆で声を合わせて童謡を口ずさむことになるようである。「老謡」になってしまった懐かしい「童謡」も我々老人たちの世代とともに消えていくのであろうか。

 こんなことを書いていたら、新聞の折り込み広告に、童謡コーラスの会の勧誘が出ていた。「50才~70才,80才代のマダム&ヤングシルバーに大人気!元気、友達、健康、うた仲間集まれ!!」とある。やはり、童謡は今では昔を懐かしむ老人たちの老謡になっているようである。 

 

 

”新弥生時代”の始まり

 日本人と一口に言っても、その実態は戦前の私が子供だった頃と今では随分違ってきてしまっている。

 外見だけからしても、戦前の日本人と比べると、今では背が高く、太っている人が多くなり、平均値が大きくなっただけでなく、人によるばらつきも、大きくなったのが特徴であろう。

 戦前なら、身長が160センチもあれば普通であったが、今では190センチを超える人も少なくなく、以前だったら、電車のドアに頭が使えるような人を見たら「高いなあ」と思わず声を出したくなるぐらい驚いたものだったが、最近はそれぐらいの人はいくらでもいて、驚くほどのことではない。女性でも、背丈が電車のドアにつかえるような人も見かける。

 身長だけでなく、体重もメタボと言われるような人が増えてきたし、それ程でなくても、中年の男性では殆どと言って良いぐらい小太りで腹が出ている人が多い。アメリカ人と変わらないような大柄で極端に肥えた人も見かける。

 体格だけでなく、顔貌も昔と変わってしまった。以前の日本人は目が細く、鼻が低く、もっとぺっちゃりした顔の人が多かったが、最近はそのような人を殆ど見かけなくなってしまった。鼻が高く彫りの深い人も増えた。老人でも深い皺を刻んだ顔をした人や、腰の曲がった人は少なくなってしまった。

 肉体だけでなく、文化も変わってしまったので、服装などもすっかり昔の面影がなくなってしまっている。以前は季節によって皆が同じようなものを着ていることが多かったが、今や人それぞれに自分の好みに応じた装いをしていると言っても良い。着物姿がごく少数しか見られなくなっただけでなく、色々な制服姿が減り、多彩な服装が見られるようになった。男が赤い服やシャツ、ズボンや靴などを身につけるなど、昔は考えられないことであった。

 そこに来て、最近もう一つ顕著になってきた風景は、外国人や外国人との混血の人が街中でも普通に見られるようになってきたことである。外国からの観光客が増えたこともあるが、それらの人たちを除いても、いわゆる”日本人離れ”した混血の日本人が増えている。厚生労働省の人口動態統計によっても、2017年に日本で生まれた子供の2%は親のどちらかが日本以外の国籍だそうである。

 現に、今度沖縄知事になった玉木氏も、テニスで優勝した大坂さんもそうだし、テレビなどに出てくる人たちの中にも混血の人も何人もいる。ましてや巷にも今や混血の日本人は珍しくもない。それだけ外見上の多様化も進んでいる。

 そこへ少子高齢化社会が進み、人口減少による人手不足とあれば、嫌でも外国人労働者を招き入れて助けて貰わないと、社会が回らなくなる。移民に消極的な日本政府も、外国人労働者を受け入れざるを得なくなっている。そうなると、嫌でも日本に定住する外国人が増え、その子や孫も日本人となり、彼らと日本人の混血も増えるであろう。

 当然、日本人と言ってもばらつきも大きくなり、それらの人たちを含んだ新しい多様な日本人が作られていくことになる。従来からの日本人を、外国人から区別して、日本人としたい単一民族国家の幻想にとらわれている人たちもいるが、もはや叶わぬ夢である。時代の趨勢を見ると、嫌でも応でも、近未来の日本人は今よりも雑多な起源の多様性の大きな集団になって行かざるを得ないであろう。

 これまでがむしろ、長い間の狭い島国の中での交流だけで純粋な大和民族だの、固有の文化などと言いながらも、一方では先行きのないガラパコス的な袋小路に次第に追い詰められつつあったのではなかろうか。伝統を重んじることも大事であるが、将来の発展を望めば、 国内の変化を促すとともに、外国からの移民や文化をむしろ積極的に取り入れるべきであろう。伝統は時に壊されてこそ生き延びるものである。

 民族の移動や混血は日本に限ったことではない。世界中で人々の交流が進み、混血が世界中で進んでいる。それによって新たな人類の進化が促進され、新たな世界が始まることになるのであろう。この世界の趨勢から取り残されてはならない。

 日本におけるこの文化の急激な変化や人口減少はむしろ変革を促すチャンスである。ヨーロッパなどでも見られるように、移民が多くなるにつれて、一時的には従来の住民との間の矛盾や軋轢などの起こる時期も来るであろうが、それを乗り越えて、多くの人たちを迎い入れ、同化して行くことによって、新たな日本人が形成されていくのではなかろうか。

 他民族の流入と混血、同化、外来文化の摂取による、生物学的ならびに文化的な多様性こそが将来の日本の発展の道であろう。縄文、弥生の移民時代のことを想起するべきであろう。今後は、この国にいわば”新たな弥生時代”がやって来て、大勢の外来者が移住して来て、多様性に富んだ新しい優れた日本人が出来ていくことを夢見たいものである。

外国人労働者は労働力としてでなく、人間として受け入れよ

  少子高齢化に伴う人口減少で、人手不足が大きな社会問題となり、「技能実習制度」や留学などによって在留している外国人のアルバイトが、何処でもといってもよいほど見られるようになっているが、それでも人手不足は深刻のようで、悩む業界などに突き動かされて、政府はいよいよ即戦力となる外国人材を幅広く受け入れる仕組みを急いで作ることにしたようである。

 この秋にでも国会で出入国管理法などを改正し、介護、外食、漁業、建設業や農業など14  分野での不足する人材の確保を図ろうということらしいが、それでも政府はあくまで「技能実習制度」などにこだわり、「移民政策」とは違うと強調している。

 人手不足は何とかして外国からの労働力で補いたいが、社会的な種々の問題を伴うことになる移民はあくまで避けたいというのが政府の本音のようである。しかし、安上がりの労働力だけは欲しいが外国人はいらないという、そんな虫の良い話が通用するものであろうか。

 これまで続いてきた「技能実習制度」の結果をを見ても、本来の実習よりも単純労働力とみなしていることが多く、そのため「技能実習」の名目と実態の乖離によるトラブルも起きている。そのための自殺者も出ているし、やがて国際的な問題にもなりかねない。また、既に日本に定住してしまっている外国人も多いし、そんな外国人の多い地域では地域社会とのトラブルも時として見られる。

 移民としての本格的な施策を取らないことから、それら外国人の家族の日本社会への同化にも問題が多いようで、例えば、知恵遅れの子たちを対象とした特殊学級へ通う外国人の子供の割合が日本人の子供と比べてはるかに多いそうだが、このことは外国人の子供たちの日本語教育や、日本の生活への同化がうまくいっていないことを示唆しているものであろう。

 外国人から一時的に労働力だけを求め、不要になれば打ち切るといった安易な方法はいつまでも続けられない。労働力があれば、必ずそれを持った人間がいる。人間がおれば、必ずその生活や家族を伴う。また労働があれば、必ず関係性が生じる。いつまでも労働力だけを利用することは出来ない。

 外国人を受け入れるのであれば、「技能実習」などといった欺瞞とも言われかねない姑息な方法を止め、移民として、日本人と同じ人間として受け入れるべきである。日本語や日本の風習生活を教え、文化の違いを越えて、日本での生活を確保し、同化して日本人として一体化した社会の一員となってもらうべきであろう。

 それこそが将来のトラブルを避け、新しい日本人を作り、この国の発展につながる道であると思う。

 

統計や図表にごまかされるな

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 この頃は新聞でも他のメディアでも、何でも統計などをグラフにして表示して見せてくれることが多い。グラフにして視覚に訴えると、直接目に飛び込んでくるのでわかりやすいので有難い。

 ただ、こういう便利なものも、時に注意しないと、頭に入り易いだけに、誤ったグラフや図を見せられて、つい誤魔化されてしまうとにもなる。明らかに誤った図表や、注意して見ないと誤魔化されそうなグラフなどもあるので注意が必要である。最近インターネットで見て驚かされたのが、上に示した円グラフである。

 IR誘致に賛成か反対かの意見の統計の円グラフで、どのテレビで見せられたのか忘れてしまったが、明らかに誤ったグラフで、注意して見るとすぐわかるのだが、数字と円の分割の仕方が合っていないのである。しかし、注意して見ないと見誤りそうな円グラフである。

 この間違ったグラフを見せられても、テレビの音声は数字しか言わないので、反対が42%と言われても、視覚による印象の方が強いので、目で見ている方は3分の1程度しかいないのかというように思えてしまい勝ちである。人々に残る印象はかなり違ったものになりかねない。

 後で訂正があったのかどうか知らないし、この誤りが意図して作られたものとは思いたくないが、グラフや図を見せられても、こういう誤りもあることを知っておいた方がよさそうである。テレビでも思いもかけないことがあるものである。

 こういう誤りは、意図的になされたとしても、注意して見ればすぐわかることだし、公的な発表などでは誰かが直ぐ気付くであろうが、もっと注意すべき重要なことは、政治や社会的に使われる統計などであろう。

 ここでは、図表などを作るより、もっと以前に、その元となる実態や統計などを操作して自分たちに都合の良いように操作して作られた統計として出されることが多いので、むしろ、常に一度は疑ってかかった方がよさそうである。

 一例を挙げれば、冒頭に掲げた下の方の図は安倍首相のいう、安倍内閣によるGDPの伸び率の線グラフであるが、このようなものは、その元になる統計の操作によって、いくらでもとは言わないが、かなり変わったものにもしうるものである。

 国会審議のテレビ中継などを見ていても、始終、問題になった書類や説明が、一旦出されたものが引っ込められたり、訂正されたりしているのを繰り返していることからも容易に想像できるであろう。

 猜疑心の塊のような人間にはなりたくはないが、簡単に騙されていいように利用されるのも腹の立つことなので、いつもそこそこの疑いの目を持って見ることはやっぱり必要なようである。