アベノハルカス展望台

 

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 今のところ日本一を誇るアベノハルカスのビルが出来てもう3年ぐらい経つのではなかろうか。昔その近くの天王寺茶臼山に住んでいたので、アベノ界隈は馴染みの深い所である。

 戦争で近鉄百貨店まで焼けて、あたり一面焼け野が原となり、天王寺駅前には闇市が広がっていたのも、今ではもう遠い昔の話となり、その近鉄百貨店が建て替えられてアベノハルカスとなったのである。その西側にはQ'sモールも出来、阿倍野筋の道路も拡幅され、あたりに高層ビルも多くなって、往時とはすっかり変わってしまった。

 天王寺公園には美術館があるので時々行くが、アベノハルカスには、中の美術館で何か催しのあった時に、一度か二度行って、16階の庭園風になっているテラスから外をのぞいたことはあるが、最上階の展望台まではまだ一度も上ったことがなかった。

 ビルが出来た時から一度は天辺まで登って見たいと思っていたが、完成したのが春だったので、初めは混むだろうし、春は霞んでいるので、秋の方が遠くまで見晴らしが良いだろうから、秋になったら行ってみようと思いながら、いつしかそのままになってしまっていた。

 ところが最近たまたま、知人がこのビルの24階にある大阪芸大のサーチライト・キャンパスにような所で展覧会をやることになり、案内状を貰ったので、この機会に屋上の展望台にも行ってみることにした。折角上がるのであれば、昼の展望とともに夜景も見てやろうと日暮れ前の5時頃に行った。

 16階から屋上の展望台への直通エレベーターがある。超高速エレベーターで、ガラス張りの天井を見上げると、遥かな高所に点滅する光があり、動き出すとそれを目指して、まるでテイクオフする飛行機のように瞬く間に60階まで連れて行ってくれる。

 以前に16階へ行った時には、展望台に登る人が入り口に長蛇の列を作っていたが、今回は幸か不幸か、関空なども襲った台風の直後だったので、外国からの観光客の出足が遅れたためか、がら空きで、待ち時間もなく、空いたエレベーターで楽に登ることが出来た。

 屋上も思いの外空いていた。それに展望台といっても屋上のビルの端から端までをぐるりと廻れるようになっていて結構広いし、おまけに一階下がオープンなテラス風になっており、そこへ降りても周囲を見渡せるので、思いの外、ゆっくり時間をかけて楽しむことができた。

 まだ明るいうちに一周して周囲の世界を見下ろし、ベンチに腰掛けて休んでいる内に西側の大阪湾の方に綺麗な夕焼けが広がり、しばらく見とれていた。その時の写真が上に掲げたものである。

 そのうちにとっぷりと日が暮れるとともに、下界の灯りが一斉に灯り、美しい夜景に変わっていった。下界は知り尽くした世界なので、暗い中でもオリエンテーションは十分で、大阪の天井から見る夜景を十分楽しむことが出来た。

 女房に、いつまでたっても「高い所とピカピカ光るのが好きだね」と冷やかされたが、やっぱり一度は行って見る値打ちはある所だと思いながら下界に降りた。

 

 

 

 

 

議会のいじめ

 熊本市議会でのことである。女性議員が演壇にあがって演説しようとした時、風邪を引いていたので咳止め飴を舐めていたのを、議員たちが問題にし、議会の品位を汚す行為だとして懲罰委員会にかけ、議場から追い出したという報道があった。地方議会での出来事とはいえ、今だにそのようなことがあるのかと、呆れ返ったのは私だけであるまい。

 丁度、それを知って誰かが流したのかも知れないが、SNSにはイギリスの党大会で演説していたメイ首相が急に咳き込んだのを見て、近くにいた財務大臣がのど飴を提供し、首相が財務大臣なののタダでくれたと冗談を言って演説を続けた動画を見たところであった。

 その熊本の女性議員は、昨年だったかに長男の赤ん坊を議会に連れて来て非難され、一時議事の進行がストップするという問題を起こした議員であった。ところが、その時の結末は、女性の活躍が期待されている世の趨勢もあって、国内ばかりか、海外からも議会の方が返って批判を浴びる結果になっていた。

 恐らく、それが尾を引いているのであろう。今だに”九州男子”?などと思っている男社会の議員仲間の陰に篭った怨念のようなものが底流にあったのに違いない。そうでなければ、咳止めにのど飴を使っているのを、規則にもないのに「ルールはルールだ」「議会の品位を損なう」などと言ったりして、懲罰まですることはあまりにも子供じみた行為で、議会の態度として考えられない。

 これは今だに昔ながらの”むら社会”の雰囲気が残っていて、それになじまない輩は排除したいという議員たちの起こした”村八分”であり、いじめである。議会の品位と言うのであれば、国会同様、議場で居眠りしている議員もいるだろうし、それより、このような些細なことを取り上げて大騒ぎすることの方が品位を傷つける行為ではなかろうか。

 この国には今だに古い”むら社会”の伝統が牢固として残っているようで、それが時々あちこちで問題を起こしているようである。政治家の世界もそのようだし、最近問題となったスポーツの世界や、貴乃花親方の相撲の世界からの引退などを見ても、同じような遅れた社会を見せつけられる気がする。

 

 

 

漢字の読み方

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 安倍首相が国連の演説で「背後」と原稿にあったのを「セイゴ」と言ったそうで、以前に「云々」を「デンデン」と読んだことと合わせて、多くの人の顰蹙を買っているようである。

 一国の総理大臣が公式の場で、自国の国語を読み間違えるのは何といっても情けないことだが、誰しも漢字を初めから読み間違えて覚えてしまっていることもあるだろうから、あまり人の揚げ足をとるのも良くない。

 SNSでは、これをきっかけに麻生大臣の読み間違えの例を上の表のように並べたものまで出回っている。暇な人もいるものだが、こちらの方が安倍首相よりもっと酷いように見える。そう言えば森首相の ITをイットとした発言も思い出される。

 勿論これらは教養の問題も絡んでいることだが、漢字の読み方は難しいもので、昔から読み間違いが多い言葉もあるし、時代によって変わることもあり、本来は間違った読み方だったのが、皆が間違って読むので、それが正しい読み方になってしまったような例もある。

 喫茶は本来は「キッチャ」だったのだろうが、いつしか「キッサ」が正しくなってしまった例ではなかろうか。中途半端なものも多い。麻生大臣の表にも出てくる順風満帆は「ジュンプウマンパン」が正しくても「ジュンマンポ」と読む人が多いので。辞書にもわざわざ間違った読み方の注意を促している。

 播種などは播種性転移などと医学領域でも使われるが、今では正しく「ハシュ」と読む人より「バンシュ」と読む人の方が多い。完遂とか遂行も「スイ」と読まずに「ツイ」と読む人も結構多い。

 またどちらが正しいとも言えず、両方の読み方が入り混じっていることもある。頭部と書けば誰でも「トウブ」と読むが、頭痛は「ヅツウ」と読む。当然偏頭痛は「ヘンヅツウ」である。ところが頭部外傷というと、「トウブガイショウ」というのが正しいのだろうと思うが、「ヅブガイショウ」という医者も結構いる。

 こんな具合で、決まった読み方があっても、業界言葉などになると外の人にはわかりにくいものも多く、麻生大臣の表にもあるが、前場の取引は知らない人なら「マエバ」と読んでも仕方がないだろうし、後場「ゴバ」はどう読むのかまごつくであろう。同じ市場と書いても、「イチバ」と「シジョウ」の使い分けは関係のない人には分かりづらいことかも知れない。

 また、漢字をある時に違えて覚えてしまった場合には、何かの時にそのまま喋ってしまって恥をかくこともある。昔いた病院の事務長が診療圏について役人に説明するのに「シンリョウエン」と繰り返して困った覚えがある。

 そうかと言って私自身も若い頃に、一石二鳥を「イッコクニチョウ」と覚えていて、女房に笑われたことがあった。最近のように漢字を使うことが昔より減り、しかも自分で読んだり、書いたりする機会が少なくなってくると、益々読み方の間違いなども増えてくるのではなかろうか。地名や姓名に読み難いものがあることはよく知られているが、普通名詞でも日本の漢字の読み方は難しいものである。

憲法改正より先に日米地位協定に改正を!

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 安倍首相は総裁選の時から強く打ち出したように次の国会にでも憲法改正を打ち出したいようで、自衛隊の隊員が胸を張って仕事が出来るように、それをしないのは国会議員としての怠慢とまで言い出している。

 憲法を守ることが義務づけられている政府の長がそんなことを言い出すのも問題であるが、国民が憲法改正をそれほど緊急の課題だと思っていないのも現状であろう。

 それに仮に憲法を改正したところで、自衛隊が不平等な日米同盟に縛られている存在である限り、胸を張って行動出来るであろうか。自衛隊はあくまで基本的には米軍の意向に従ってしか行動出来ないからである。

 沖縄の現状を見ても、米兵の犯罪が繰り返されても日本政府は何ら有効な対策を取れていない。沖縄の選挙では自民党などが支持する候補者の陣営からさえ問題とされていることである。しかも、それは沖縄だけのことではない。基地を沖縄に集中することによってごまかしているが、本土においても法的には何ら変わりがないのである。

 しかも日米安保条約やそれ伴う日米地位協定は日本の憲法より優先するものであり、憲法を変えてもそれによる制約は変わらないものである。

 自衛隊が安倍首相の言うように胸を張って行動出来るためには、自衛隊が自らの意思によって行動出来ることが前提となることは明らかであろう。憲法を変えても事情は変わらない。憲法よりも安保条約が優先するからである。日米地位協定を変えて平等な条約にすることが不可欠であることが分かるであろう。

 諸外国とアメリカの条約を見ても、上表のように日米の条約はドイツやイタリアなどとの条約と比べても明らかに異なるし、フイリピンや、さらにはアメリカが占領していたイラクアフガニスタンアメリカの間の条約と比べても、日本に不利な不平等条約となっているそうである。

 それらを考えれば、何も日米同盟を止めることまで考えなくても、もう少し平等な条約に変更することは出来るであろう。憲法改正よりも国内からの反対もはるかに少ないに違いない。政府は国民の期待に答えて、憲法改正より先に、日米地位協定の改正のために交渉を始めるべきではなかろうか。

 

ベンサン

 この頃の若い人たちはどんな言葉でも簡単に縮めて、それをカタカナでいうものだから老人には中々ついていけない。

 今度は朝日の夕刊に「奈良産ベンサン」という見出しの記事が出ていた。「ベンサン」などと言われても、理解する手がかりもない。しかし「便所サンダル」と言ってくれれば、老人たちにとっては今の若い人などよりよっぽど昔馴染みのものである。

 新聞の記事は「便所サンダル」と言っても、便所で使う履物の一部をさすもので、飲食店のトイレで見かける「便所サンダル」といわれるもので、ポリ塩化ビニールの樹脂を型に流し込んで成形したサンダルのことで、それを製造している奈良の会社が、最近安い外国製に押されて振るわなくなっていたが、飾りなどをつけて可愛い魅力的なものにして売り出したという話であった。

 ところが、このベンサンの歴史は古く、サンダルだけでなく、日本の家庭では古くから使われてきたトイレ用の履物で、日本の文化の一部だと言っても良さそうなものである。

 歴史を辿れば、日本家屋の便所は母屋から離れて外にあったので、便所に行くには必ず履物が必須であった。近代になって、便所が屋内に取り込まれるようになってからも、勿論未だ水洗式ではなく、便所は不潔な場所であるとされていたので、風水上鬼門の位置を避けて造られるなどの配慮もされ、不潔な場所なので便所専用のスリッパなどの履物を履いて使用するのが普通であった。

 そんな歴史から、やがてどこの家でも便所が水洗式となりトイレと言われるようになって、トイレが綺麗になりマットなどが置かれるようになっても、スリッパはまるで未だに必需品のように残ることが多かった。トイレは依然として不潔な場所という観念が抜けないからであろう。

 したがって、普通家の住人がトイレを使う時には利用していなくても、客のある時には礼儀としてお客様用にトイレには、今だにトイレ専用のスリッパを揃えているところが多い。ホテルや旅館でも、部屋用のスリッパとトイレ用のスリッパを分けて備えているところが多い。そのため、つい間違えて、トイレで履き替えたトイレ用のスリッパで部屋へ出てきてしまうようなハプニングも起こる。

 アメリカなどでは、便所専用のスリッパなどを見かけることはない。トイレに対する考え方が違うので、スリッパがないだけでなく、ビジネスホテルのようにトイレはバスタブと同じ部屋にあることが多いし、便器の蓋も必ずしもあるとは限らない。トイレの扉は使わない時には開けておくのが普通である。日本では「臭いものには蓋」の続きで、未だに使用しない時には閉めておくのが普通であるが、アメリカでは扉が閉まっていることは使用中ということの暗黙のサインなのである。

 こう見てくると飲食店などのトイレは殆どがタイル張りかコンクリートの床になっているので、便所の履物はスリッパではなくてサンダルということになる。ここでも面白いのは、靴履きのままの廊下に続くトイレにも「ベンサン」が置いてある所が多いことである。やはり日本では不潔なトイレの伝統は続いているのであろう。

 序でに書いておくと、公衆トイレで一番不潔な所は、多くの人が気にする尻を乗せる便器の蓋ではなくて、個室の扉の取っ手だということである。

 

移民対策を今から考えよう

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 少子高齢化が進み、人口が減少して行き、労働人口が減りつつあるので、高齢者や女性の活用が進められているが、それでも不足分を補うためには外国人の労働力に頼らざるを得ないのがこの国の現状で、政府も外国人労働者 の受け入れの枠を緩めてきている。

 そんなこともあって、最近ではどこへ行っても外国人の旅行者ばかりでなく、日本で働く外国人の姿も増えた。ひと昔前には、私の家の近くに自動車製造工場があるので、ブラジル人の労働者が多かったが、最近はそれよりアジア系の人が多いのか、外見上では通りがかりに見るだけではわからない。

 しかし、コンビニや、チェーンの大衆料理店、珈琲店などに行くと、至る所で日本語が少し変な外国人労働者を見かけるようになったし、街中でも、明らかに旅行者とは違う、定住しているのではと思われる外国人を見ることが多くなったというより、当たり前になった。

 現在日本に住んでいる外国人の数は約250万人と言われ、国連の定義によるその国に一年以上住んでいる人を移民とした場合、昨年日本に移住した外国人の数は約39万人で、この数はドイツや、アメリカにははるかに及ばないが、イギリスの47万9千人に次ぐ世界第4位だそうで、前年比5万5千人の増加だということらしい。

 その他に、まだ一年に満たない外国人実習生もいるだろうし、留学生も週28時間までのアルバイトが認められているようなので、留学生のコンビニなどでのアルバイトも多いらしいから、どこでも外国人が増え、それに依存しているのが社会の普通の姿になってきているようである。

 それにもかかわらず、以前から問題になっていることだが、日本政府は外国人の日本への帰化を今も極力避けたがっているようで、避難民などの帰化の申請に対しても、世界で最も厳しいような条件をつけて、極力帰化を拒んでいるようである。また、労働力を補うためにも、至る所で実習生制度を取り入れ、契約期間だけ働かせて後は帰国を願う制度を続けて、極力日本に定住されることを避けてきているように見える。

 ところが、日本側の労働力不足を埋めるための、主に単純労働力の要請と、それを呼び込むための名目状の技術実習制度との矛盾が、人手不足の深刻さや技能実習制度の拡大ともに大きくなり、日立製作所技能実習制度などでも技能実習の積もりが単純労働しかさせてもらえないといった人権上のトラブルが新聞などでも取り上げられるようになってきている。上に掲げた写真のようなことも起こっているようである。

 こうしたいわば詐欺的な呼び込み方法は一時的には通用しても、長い目で見れば我が国の信用を落とすものであり、今後中国をはじめとするアジア諸国の発展とともに、日本へ向かう優良な労働力にブレーキをかけ、日本の産業界に取っても禍根を残すことになりかねないことを恐れる。

 将来のことを考慮すれば、日本で最大限の技能実習の効果が得られ、満足して実習者に帰国してもらうことが、日本いとっても利益になることを知るべきであろう。さもないと、今後は中国の発展もあり技術実習などといっても日本は顧みられないことになるやもしれない。

 それに実習制度を五年から十年に延長するらしいが、長期になる程、本人やその家族、ことに子供達の教育などについても責任を持たねばならないであろう。現在でも、知恵遅れ児童などを対象とした特殊学級における外国人生徒の割合が多いことが指摘されているが、これは外国人の子供たちの日本への適応が不十分なことを示している。

 どんな形にしても、もはや外国人を受け入れなければこの社会が成り立たなくなってきている以上、外国人をいかに受け入れ、同化して貰い、将来同じ日本人としてやっていくかを今から考え、基本的な手を打っていかなければならない時が来ているのではないだろうか。

 今の路線のままの外国人労働者の受け入れ体制が続くならば、将来大きな社会問題になることは明らかである。 ヨーロッパ諸国と違って、閉鎖的になりがちな島国で、しかもムラ社会が残り、大和民族の純潔などと考え勝ちな日本社会の将来が思いやられる。

 今から打つ手が将来の移民問題を解決する基礎ともなるものである。単なる一時しのぎの労働者受け入れという考えを捨て、多くの優秀な外国人を受け入れ、日本に定着して貰い、新しい日本人の創生につながるチャンスにすべきではなかろうか。

 もともと、現在の日本人と言っても、これまでに大陸や半島からの移民が混血して素晴らしい日本人が出来て来たのであり、いろいろな多様性を持った人々の混成こそが多様な遺伝子の組み合わせで、多様な才能の花が咲くものであろう。縄文時代弥生時代に次ぐ新たな移民時代を迎え、この国の新たな発展が期待できるのではなかろうか。

 少子高齢化はこの国の新生の好機だとも考えられる。多くの人たちの混血こそが優れた新しい日本人を生み出すことになるであろう。大いに外国人を受け入れ、定着して貰い、混血を進めることが日本の発展の道ではなかろうか。

過労死は増える

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 「働き方改革」法案が成立した。政府は一段落というが、経団連は早速今後の課題として裁量労働制の推進拡大などを目指して法案の再提出を言い出している。

 裁量労働制というのは、働いた労働時間ではなく、労使であらかじめ決めた時間を働いたと見なす「みなし労働時間制」のことであり、会社側から言わせれば、能力が低いために普通より長時間かかった労働者に余分の金を払うのはおかしいという論理から来ているものである。

 2007年にホワイトカラー・エグゼンプションを打ち出してから、経団連などが言い続けてきた課題で、労働者の賃金制度を資本主義のはじめ頃に盛んであった、請負制度に戻そうとするものである。

 歴史的に労資の長い戦いの中で、労働者が獲得して来た労働時間制度、それに伴う残業という概念を全面的に否定し、作業形態が変わったことを口実にして、労働の時間観念を奪い、請負制度に戻そうとする画期的な制度変更なのである。

 高度プロフェッショナル制度というのは、自由に時間を配分でき、時間ではなく結果で報酬を払うという仕組みすなわち請負制度の一種になるが、問題はその労働者に仕事の裁量権があるかないかである。今のところ、適用されるのは給料が月1070万円以上のものということになっているが、いろいろな手当や穂樹なども含まれるので、実質7〜800万円でも対象になりうるとも言われる。

 更には、竹中平蔵氏などがこういう法案は 小さく産んで大きく育てるものだと言っているように、一度法案が通れば、あとは政令で時間などは容易に変えられるので、広く適応されていくことのなるのことを考えておかねばならない。

 政府の説明では、高プロの労働者からの要望のごとく言っているが、自分に仕事の裁量権のある労働は少なく、これは明らかに経営者側からの要望であり、結果は過重労働を強いられることにならざるを得ない。自分に仕事の裁量権のあるのは、個人経営者ぐらいであろう。

 労働基準監督官の立場から見ても、労働時間に把握が出来なくなるので過重労働などの指導が困難になるであろうと言われ、労働基準法の遵守をも危うくする恐れが多い。初期の資本主義制度の頃のように過重労働が増え、過労死の多発が止められなくなる恐れが大きくなるのではなかろうか。