サッカー狂い

 このところ新聞もテレビも、どれもこれもサッカーのW杯ロシア大会で持ちきりである。日本が決勝トーナメントに出ることが決まったので、日本が負けるまでは報道もますますエスカレートいていくことであろう。まだ試合が始まる前日に選手が移動するだけで、ニュースのトップに出て来たりする。

 これに熱中している人にとっては有難いかも知れないが、スポーツにあまり関心のない老人にとっては新聞がまるでスポーツ紙のようでがっかりさせられる。開いても開いてもスポーツ記事ばかりで、政治や社会の問題は片隅に押しやられてしまっている感じである。

 政府などはこれを喜び、国民の関心をそちらに向けさせ、これを議会における法案の強行突破に利用しているのではないかとさえ邪推したくなる。現に働き方改革法案やTPP法案などは多くの疑義を残したまま、日本の決勝トーナメント出場が決まった日に、強い反対を押し切って可決されてしまった。

 スポーツの国際試合も悪くはないが、「頑張れ、頑張れ、日本!日本!」などとの熱狂したシュプレッヒコールなどを聞くと、私にはかって何処にでも飾らされた日の丸や、一挙手一投足まで同調を強いられた大日本帝国の時代を思い出して、反射的に目を外らせたくなる。

 戦争を経験して来た私たちの世代と今の若い人たちの世代では、考え方も行動も違っていても当然であろうが、SNS を見ていたらこんなのもあった。

【非国民?ワールドカップを見ない人たちの本音】

「"見てないやつは非国民"みたいな扱いになる空気、ほんと嫌い」「は!?なんで見てないの?損だよ!みたいな反応に飽きました」「渋谷で大騒ぎするサッカーファンが嫌いなので、ワールドカップは憂鬱。頑張れ西野ジャパン」「興味無し!日本が敗退しようが阪神が勝てばそれで良い」

 サッカーが好きでたまらない人はサッカー狂いになってもよいかも知れない。しかしサッカーは一つのスポーツ競技に過ぎないじゃないか。好きな人もいれば嫌いな人もいる。関心のある人も関心のない人もいて当然であろう。

 自分が好きだからといって、嫌いな人にまで同調を求めるのは良くないだろう。国際試合だからといっても、試合の結果で国がどうなるわけでもない。好きな人は「日本勝った、日本勝った」と騒げばよい。しかし国中の人にそれを強制しないでほしい。サッカーには関心がなくてもタイガースが好きな人も多い。

 サッカーの好きな人だけで騒いで欲しい。周りの人にまであまり迷惑をかけて欲しくない。ましてや、ヒトラーがベルリン・オリンピックを政治的に利用したようなことは避けて欲しいものである。スポーツは皆で優れた競技をその人なりに楽しむ平和な祭典である。自分の贔屓筋を応援し、そこが勝てば歓喜するリクリエーションである。

 サッカーの好きな人の中にだって、日の丸振りかざして「頑張れ!頑張れ!日本!」を周りにまで強制する人ばかりでなく、静かに試合の経過を楽しみたい人も多いであろう。サッカーに熱狂はつきものだが、そうかといって、国家間の争いではない。単なる親善のためのスポーツである。試合が済んだら頭を冷やして欲しいものである。

鶯の当たり年?

 俳句などでは「夏鶯」という言葉もあるようだが、鶯といえば何と言っても春先のもので、これまで我が家の周辺では、今頃の季節に鶯の鳴き声を聞くことはまずなかった。ところが今年はどうしたことか、我が家の庭でも近くの山へ行っても、もう夏だというのに、いつまで経ってもホーホケキョの声が聞かれる。

 過疎化が進んだわけでもないし、周辺の山が荒れたわけでもない。駅の周辺にマンションがいくつもできたようなことはあるが、近くの自然環境が急に変わったというような兆候もない。

  グーグルで調べてみると、ホーホケキョと鳴くのは雄が雌に語りかける時のもので、伴侶が見つかり子育ての季節になると、お互いの合図に鳴くのはチュチュというような小さな声で、ホーホケキョのような明朗な声ではないそうである。 

 そうすれば、今年は何かの巡り合わせで鶯の当たり年で近隣の鶯の生息数がが増え他のであろうか。数が増えて、今だに適当な雌が見つからない雄がいて、今だに鳴いているのか、雌雄の比率が悪くて、あぶれた雄が多くなり、今だに伴侶を探しているのだろうか。

 あるい鶯は一夫多妻だともいわれるそうだから、次々と雌に逃げられて、此の期にまた新しい雌を探さなければならないのか、鳴き声ばかりで姿が見えないので、どんな事情なのか勝手に想像するだけである。

 それは兎も角、もう梅雨も過ぎて本格的な夏が来ようというのに、今だに毎日ホーホケキョの声を聞かない日はない。春のはじめは、まだ完全にホーホケキョとまでは言えない下手くそな鳴き声も聞かれたが、流石に近頃はどの声も最早完璧なホーホケキョの美しい声を聞かせてくれる。

 鶯の仲間の世界がどうなっているかは知らないが、蒸し暑く塞ぎがちな雰囲気の中でホーホケキョの声を聞くと、やはり何か清々しいものを感じさせてくれて嬉しい。スズメや椋鳥のように、ただ喧しいだけのものはいただけないが、ホーホケキョの声なら一年中時々聞かせてもらってもありがたい。

 ただ、平年と違う鶯の世界が、何かの異変で鶯が助けを示唆しているのであれば、何もしてあげられないだけに哀れである。

京丹後の旅

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  テレビの気象情報を見ていると、いつも兵庫県日本海側の町として豊岡の名前が挙がる。冬は日本海側なのでずっと寒いのに、夏は大阪よりも暑い日が続くようである。今は馴染みの深い城崎温泉豊岡市らしいし、以前に行った出石の城下町も豊岡に属するようである。豊岡はその他にも、近年ではコウノトリで有名だし、昔からカバンの町としても知られている。豊岡は兵庫県日本海側の中核都市ということであろうが、その元々の豊岡の町へは行ったことがない。

  それとやはり日本海側の舞鶴も昔から海軍機関学校があったり、戦後の引き揚げ港として名を馳せ、よく知っている町の名前であるが、実際にはまだ行ったことがないので、やはりいつか行って見たいと思っていた。

 そんなところに、最近豊岡の少し東の久美浜から少し離れた所に京都の和久傳という料亭が作った「森の中の家」とかいう一画が出来ており、昨年からそこに安藤忠雄氏が設計し、安野光雅氏の絵のコレクションのある美術館が生まれたことを知り、それなら豊岡と舞鶴の間には京都丹後鉄道もあることだし、両方を一度に行ってみようと計画した。

 初めは日帰りで行こうかと考えたが、少し強行軍になるので、城崎温泉で一泊ということにしたが、調べてみると安野光雅の美術館が行く予定にしていた火曜日が休みだということを知り、逆回りにして、豊岡に先に行って、舞鶴で泊まることにした。

 往きは川西池田からJRで福知山経由の山陰線で豊岡に行った。ところが豊岡には地図を見ても別段行くべき目玉の箇所もないので、観光案内にあった「カバン ストリート」を目安に駅前通りを歩いた。もう10時ごろだったが、殆どの店はシャッターを下ろしたままで、開店準備をしている所も見当たらない。恐らくメインストリートだと思われる駅前通りなのに、殆ど通行人もいない。

 途中で見た市役所はレトロの建物を残したまま、両側にガラス張りのモダンな壁面を拵え、裏側に立派な新しいビルが覆いかぶさる様な造りになっており、市役所の正面の道の反対側には戦前の石造りのホテルが、小さいけれども今なお頑として営業を続けていた。昔は立派な通りだったことが偲ばれた。大分歩いた先に「カバンストリート」があったが、そこも同様にまだ開いている店が目立たなかったのでそのまま引き返した。

 仕方もないので豊岡見物は早々にして、京丹後鉄道に乗り、次のこうのとり駅を経て、その次の久美浜駅で下車した。二つ目なのに料金が高いなと思ったが、駅間の距離が長く、殆どの所が両側に木々の繋がる森の中を電車が走る感じであった。

 久美浜は小さな町だが、駅は堂々とした大きな和風の作りの建物でこの街のかっての権威を象徴しているようであった。しかし、今では本来の鉄道関係は通路だけで、あとの建物の中は他の目的に流用されているようであった。

 それは兎も角、駅前からバスに乗り、約15分で和久傳の「森の中の家」に着く。かって工業団地として開発したものの一部を買って始めたものらしく、開拓された更地に大勢の手と時間をかけて植樹をして作った様だが、今では木も育ち、「森の中の家」というキャッチフレーズにも適合した森が出来上がり、その中に工房の建物やレストラン、美術館などが存在していると行った所になっている。

 美術館は昨年出来たところらしいが、いかにも安藤忠雄氏設計らしい作りで、信州か何処かで見た安藤作の美術館とよく似た構造だなと思われた。安野雅光氏はもう92歳だそうだが。まだご健在でつい先日には美術館の開場一周年記念に来てられたそうである。

  そこで食事を済ませて後、駅に戻るのに定期バスが素通りしていってしまうトラブルがあって遅れたりしたが、久美浜へ戻って、昔のこの地の豪商の立派な屋敷を見学してから、京都丹後鉄道を乗り継いで舞鶴へ行った。

 丹後鉄道は久美浜から後の道のりも、大部分森の中ばかり走るような鉄道で、単線なのであちこちで対向電車の待ち合わせで長い時間がかかり、都会の人間をイライラさせた。合計すれば舞鶴に着くまでにゆうに30分以上は駅でじっと止まったっままということなので時間が掛かる筈である。

 お客は殆ど全てと言っても間違いのないぐらい、あちこちの高校生が通学に利用しているだけで、その他の乗客はまず見掛けなかったと言っても良いぐらいである。森の中をどこまでも続く細い単線線路の補修や維持だけでも大変だろうし、今のような高校生にだけ頼っている少ない乗客数ではいつまでやっていけるのだろうかと、人ごとながら心配しないではおれなかった。

 こうして豊岡から舞鶴まで何キロあるのか知らないが、3時間近くかかった勘定で、西舞鶴からさらにJRで東舞鶴へ出、もう暗くなた8時頃にようやくホテルへ着いた。

 翌日はたっぷり時間があるのでゆっくり起きて、舞鶴見物ということにしたが、朝の散歩に出て、そこらをぶらついたが、思ったより狭い場所で、観光すべき施設のあらましを回ったことになってしまった。ただ、自衛隊イージス艦だか知らないが、思いの外に大きな軍艦が二隻と駆逐艦ぐらいのものが何隻かが係留されているのが印象的であった。

 チェックアウト後はゆっくり東舞鶴駅まで歩き、バスで西舞鶴へ行った。西舞鶴では、駅の近くで思わぬ立派な海鮮丼を食べ、歩いて舞鶴のお城へ行き、城の建物や庭を見学してから、東屋のような休憩所でゆっくり休み、駅へ戻って西舞鶴駅の建物や近辺の様子を見てから、一旦東舞鶴まで戻り、そこから夕方の高速バスで大阪に帰った。

 それにしても今度の旅でもつくづく感じさせられたことは地方の過疎化、疲弊である。 久美浜の豪商屋敷の人も「裏日本はすっかり廃れてあきまへんわ」とこぼしていたが、両舞鶴駅とも、JRが民営化し、京丹後鉄道に分離される過程で整備されたのであろうと思われるが、両舞鶴ともに鉄道は全線高架路線になって、駅も新しく作り直され、駅舎はともにガラス張りのモダンで立派な建物になっている。どこに出しても恥ずかしくない外観は整っているが、問題はそれとはちぐはぐに利用客がいなくて閑散としていることであった。

 東舞鶴の駅では帰りのバスを待つために、ガラス張りの待合室に座って外を眺めていたが、そのすぐ前の駅前に芝生の広場があり、そこで十人ばかりの老人がゲートボールの競技をしているではないか。大阪駅でいえば、ヨドバシカメラの所が芝生の広場で、そこでゲートボールがされているようなもので、それにはびっくりさせられました。
 そう思って西舞鶴へ行って裏側の駅前広場へ出てみると、ここにも芝生の広い広場があり、こちらは誰もいませんでしたが、ベンチと子供の遊具が草の中で静かに誰かの来るのを待っているかのようでした。
 両舞鶴駅の立派な駅舎と無人の恐怖、国鉄から分離された小電鉄会社の行く末を考え、人通りのない寂れた街並みに、この国の地方の疲弊ぶりを感じないわけにはいきませんでした。今回も またもや、少子高齢化で人口減少のこの国の地方は今後どうなってしまうのだろうかという問題をひしひしと感じさせられた旅になりました。

 

 

むら社会が日本を滅ぼす

 このところ日本の政治は本当にひどいことになっている。森友学園加計学園の問題などの国会での政府の答弁を聞いてその成り行きを見ていると、政府や官僚が国会で見え透いた嘘の繰り返しをする上、廃棄したという記録が出てきたり、改ざんされていたりする。

 しかも、それらがバレても、さらに誰が見てもわかる嘘で言い訳をし、誤りを認めた後でさえ、責任を官僚に押し付けて、大臣は政治責任さえ取ろうとしない。その上、官僚のセクハラ問題や、加計学園の事実を作り話にする幼稚な嘘のオマケまでついて、最早、国民は怒りを通り越して物も言えないぐらいである。

 どうしてこんなことになってしまったのであろうか。権力が極端に首相府に集中したところで、安倍首相が私的な便宜を図ったことを否定したばかりに、官僚がそれを忖度して事実を隠し、ごまかし、記録の改ざんまで行ったというのが大筋のようである。

 仮に刑事事件には問えないにしても、誰が見ても国会や国民を愚弄するもので、およそ民主主義とは相容れない行為で、政治的、倫理的に重大な責任があることは明らかである。官僚に責任を負わせて済ませられる問題ではない。この国の民主主義の終焉にも結びつく重大事である。  

 イラク派遣自衛隊の日報問題や働き方改革法案などの審議の進め方を見てみても、政府の国会への対応の仕方はあまりにもお粗末である。数を頼りにあいまいなその場限りの答弁で国民に十分な説明もせず、時間が経てば強行採決で済ませてしまうことが続いている。

 さらには対米従属を深め、米朝首脳会議などでアジアの政治情勢が変化してもアメリカに追随するしか能がなく、その中で、憲法を改正して民主主義の否定、戦前の夢への回帰を企んでいる。国会は次第に形式的な通過儀式化し、戦前の大日本帝国帝国議会に似てきている。社会の空気も次第に戦前に似て来ている。

 このままではこの国は再び破滅に向かってしまうのではないかという危惧さえ感じられるようになっている。どうしてこの国には民主主義が定着しないのであろうか。

 このような事態になっても、安倍内閣に支持率は下がっているものの、まだ30%以上を保ったままであることに一つのヒントがあるような気がする。一般社会での内閣支持率は極端に下がっても、自民党の最も大きな政治基盤である、直接利害関係に結びつく業界団体などでは利害に釣られて未だに自民党支持が続いているようである。

 個人的には自民党のやり方に怒りを覚えているような人さえも、業界の中では業界の利害が優先し、個人の希望は抑えられる。業界としての金銭的な利害に結びついた業界の指導部に対しては同調しておかないと仕事がやりにくくなる。

 特に日本では業界は一つのムラであり、和を尊ばなければ村八分にされかねない。表と裏を使い分けなければならない。反対意見があっても空気を読んで皆の調和を優先させる、それが大人の世界だというのが今だに続いている。数々の談合事件を見ればよく分かる。

 個人としてはまともな人でも、集団となると集団の利益が優先し、個人の責任は曖昧、無責任となり、和を尊ぶ身近な小さい道徳は守っても、大きな視野が欠け、大きな流れには流されてしまうのである。そういう無責任社会が戦前の日本を滅ぼしたのに、この国の「むら社会」は未だに生き残り、再びこの国を危うくしかけていることに気付くべきであろう。

 戦後の東京裁判で被告たちが口を揃えて言ったように、「私は戦争に反対していましたが、一旦国策が決まった以上は、それに従って努力するのが自分達に課せられた行き方であった」のである。まるで自分たちが戦争という現実を作ったことを拒み、まるで戦争が天変地異のようにどこからか起こってきたもので、それに適応するより選択肢がなかったかのよう言い逃れしようとしたのである。

 この国の「むら社会」は今も続いており、原発事故でも人災事故と認めながら誰も事故の責任を取ろうとしなかったし、鉄道事故や会社の事故などでも責任が曖昧のまま終わってしまうことが多い。これらのことも考え合わせると、今後も同じようなことが起こるのではないかと思わざるを得ない。狭い範囲で辻褄を合わせようとして、大局を見逃すことを繰り返した挙句には大崩壊が待っていることになりやすい。

 これでは戦前と同じ破滅の道を進んで行くことになるのではなかろうか。90歳の私の余命は長くないが、若い人たちが過去と同じ過ちを繰り返すことに耐えられない思いでいっぱいである。

 

 

 

大阪北部地震

 先日来テレビなどで千葉とか茨城で地震があったと聞いて、やっぱり関東の方は地震が多いのだなあと人ごとのように感じていたら、一昨日の朝、書斎でパソコンを見ていると、突然強い振動に体が上下に突き動かされて、棚のものが落ちたりしてびっくりした。とっさに地震だと思って身構えたが、上下に揺られるような振動は長くは続かず収まったが、階下の居間にいた女房は庭に飛び出したようだった。

 すぐにあの阪神淡路大震災のことが思い出されたが、当然こちらでも地震はこれまでもいくらでもあるのである。それでも大した地震でもなくてよかったじゃないか、震度でいえば4か5ぐらいかなと思った。午後に出かける用事があったが、これならその頃にはもう普通に行けるのでないかと思った。

 すぐにテレビをつけたが、南海大地震のようなものではないらしく、震源地は北摂のようで、池田を含むあたりに大きな印がつけられているので、震源でこれくらいなら大したこともあるまい。ただちょうど朝の出勤時間である。電車が止まったり、エレベーターに閉じ込められたり大変な目に合う人が出るだろうなと予測が出来た。

 テレビによると交通機関は全て止まったようである。ヘリコプターによる空からの中継があり見ていると、茨木や高槻あたりが最も揺れもひどかったようで、屋根瓦がずれているような状況が写し出されていた。それでも火災の煙などは見えず、被害の状況はわからなかった。

 しかしそのうちに、小学校のプールの横のブロック塀が道路に倒れているのや、東淀川区の家の塀の石積みが道路に転がっている様子などが映し出され、小学4年の女の子が塀にはさまれて救急搬送されたが心肺停止だとか、子供の通学の見守りに出てきた老人が倒れた塀の下敷きになって死亡、どこやらでは倒れた本棚に押しつぶされて死亡などといったニュースが入ってきて、想像以上にひどかったことが示された。そうすると私の感じ方は歳をとって恐怖に対する感度も鈍くなってしまっていたので、あまり強く感じなかったのかも知れない。

 テレビ画面の北摂あたりの断層図を見ると、池田は淡路島から六甲山系を経て高槻あたりに繋がる断層と、上町台地から北へ伸びる断層がぶつかるあたりに位置しているのがわかる。それは既に阪神大震災の時に知らされたし、能勢の群発地震が執拗に続いたこともあった。今回はこれぐらいで済んで良かったと思わなければいけないのかも知れない。むしろ解説者の言うように今後また起こることを考えておくべきなのであろう。

 非常用の電気やラジオ、水などは一応用意しているが、ヘルメットは今あるのが少し小さすぎるので買い換えた方が良いのではないか、非常食も備えておいた方がよくはないか。でも、今は皆が殺到しているだろうから、もう少し落ち着くまで待った方が賢明ではないか、などといろいろな考えが頭を廻る。

 ただ、こういう非常用品は揃えても何も起こらないと、やがて古くなって絶えず入れ替えるのは難しいし、生活の邪魔になってどこかに押しやられてしまうことになりがちである。それに自分の年を考えれば、せっかく揃えても、それが役に立つ公算は少ない。それより先にこちらの命がなくなるのでは?などといった思いも頭に上がってくる。

 結局、非常用として阪神大震災の後で作った非常用のリュック一式を、もう古くなった非常用の水のボトルと一緒に玄関に出しただけで、しばらく様子を見ることにした。

 そのうちにあちこちから安否を尋ねる電話があったりしたが、今は便利になったもので、インターネットでもSafariに安否を自己申告する欄が出てきて、それに無事を知らせると、たちまちアメリカやインドなどからも連絡があったし、高槻やその他あちこちの人の安否もすぐに掴めた。今度のようの軽く済んだ時は良いが、今後、大きな災害が起こった時などにはきっと便利で役に立つことだろうと思われた。

 仕事に出た人は社内に長らく閉じ込められたり、帰宅も出来なくて大変だったようだが、幸い私の身の回りでは大きな被害もなく、今のところ大したこともなく済んだが、何と言っても残念で心残りなのは学校のプールのブロック塀の下敷きになって亡くなった小学4年生の女の子のことである。

 テレビの画像を見ると倒れたプールサイドのブロック塀の外側の道路面には大きな絵が描かれており、それに沿ってはっきりと色分けされた通学路の緑の歩道が通っている。小学校らしい特徴的な眺めなので、Googleの地図の写真にもはっきり写っているそうである。

 なくなった子は忠実に安全な緑の通学路を通って学校のプールの横を経て、もう少しで校門をくぐるところだったのだろう。その時思いもかけず突然横の高い所からブロック塀が倒れて来てその下敷きになってしまったようである。本当に運の悪い悲しい出来事である。

 ブロック塀は地震の時には危ないから避けて通るようにとは以前にも聞かされたことであるが、地震は思わぬ時に突然起こるものであるし、平素はその危険性に誰も関心を払っていなかったのであろう。後から見れば建築基準法からいって、違法建築だったらしいが、学校の建築に関する定期検査の時にも問題にされたことはなかったようである。

 学校ではプールの目隠しにブロック塀を設けたもので、学校だからといって外壁に大きな絵も描いたのであろう。しかし、プールを利用するために邪魔になるブロック塀の支え壁は作らなかったのであろう。プールの中の安全については当然色々考え、実行されていたのであろうが、外壁のブロックの安全性についてまでは誰もは考えてみもしなかったのではなかろうか。

 建築の定期検査があっても建物のついては調べても、ブロック塀についてまでは調べていなかったようである。済んでしまったことは今更どうしようもないが、小学校の女の子が学校へ行って、学校の塀に押しつぶされて死ぬなどといった出来事ほど悲しいことはない。今後はこの悲しみを忘れることなく、学校の安全については目の届かない所のないように出来るだけ多くの関係者が皆で目を光らせて、二度とこのようなことが起きないようにしていただきたいものである。

 ブロック塀は危ないものである。繰り返しになるが、学校の安全には平素からくれぐれも注意してほしいものである。亡くなられた可憐な女の子のご冥福を祈ってやまない。

ステッキと杖

 最近はステッキは流行らないが、私の子供の頃にはステッキは伊達男の必須の持ち物のようなもので、ニュースに出て来たイギリスのチエンバレん首相はいつもステッキを持っていたし、チャップリンのあの歩き方はステッキあってのものであった。日本でも珍しいものではなく今でも親父の使っていたステッキが我が家には残っている。

  しかし最近の人はもう戦前のことなど知らないので、私がステッキを持って歩いているのに出くわすと「杖をついているの」と訝しがった。最もこの歳でステッキを持っていたら杖と思われるのが当然であろうし、私がステッキを持っているのも半分は杖の役割を期待してのことで、元々ステッキも杖も日本語とカタカナ英語の違いに過ぎず、老いを否定しようとして勝手にステッキと呼んでいるだけだから、他人から見ればどちらでも同じことであろう。

 私は仕事や何かの用で出かける時にはステッキを持たないが、散歩やハイキングに出かけるような時には、最近はなるべくステッキを持っていくようにしている。階段を降りる時や凸凹道を歩く時など、「転ばぬ先の杖」としての安心感が得られるし、坂を登る時など確かに杖をつくと二本足が三本足になるので楽である。

 それに自分ではステッキだと言っていても世間では杖と見てくれるお蔭で、電車に乗った時などにステッキを持っている方が持っていない時より明らかに座席を譲ってくれる確率が高い。女房と一緒の時など、譲ってくれた席に女房を先に座らすと、隣に座っていた人までが立って、また席を譲ってくれることにもなる。

 昨日は面白い経験をした。電車に乗る時、杖をついた若い人と一緒に乗ることになったが、私の方が先に乗り込んだ。優先席だったせいか、座っていた若い女性がステッキを持った私を見てすぐ立ち上がって私に席を譲ってくれた。しかし足の悪い若い人が続いて乗ったことを知っていたので、私は振り返ってその人に席を勧めた。一旦断ってからその人が座ってくれたので、私は車内の壁にもたれかかって立っていた。

 電車はそれほど混んではいなかった。座席は空いてはいなかったが、車内はざっと見渡せる程度であった。向かい側の座席にも松葉杖を両腕で抱えるようにして座っている老人いた。すぐ向かい側なので見るともなく眺めていたが、その老人が隣の中年のサラリーマン風の男に何やら話しかけている。話しかけられた方は初め不機嫌そうな顔をしていたが、どうも私が杖を持って立っているので、席を譲るよう話をしていたようである。やがてその中年男が立ち上がり、老人が私にそこへ座れと呼び掛ける。

 私は男が渋々立ち上がったのを見ていたので一応断ったのだが、男は優先席ということを知って、嫌々ながらも一旦立ち上がった以上、最早引き返すわけにもいかない。何も言わずに少し離れた方に行ってしまった。こうなればもう座らざるを得ないので、松葉杖の老人の横に礼を言って座った。ただ、何だかこちらがペテンにでもかけたような落ち着かない感じがして、黙って電車が梅田に着くまで、小さくなって座っていた。

日本はやはりアメリカの従属国

 アメリカのトランプ大統領北朝鮮金正恩委員長の会談がシンガポールで行われた。首脳会談というものは一種の政治ショウのようなもので、アメリカが北朝鮮の体制保証をし、北朝鮮朝鮮半島の非核化を約束したということで、具体的なことはまだ何も決まっていないので、今後どうなっていくかわからないが、まずは大筋の合意が出来て朝鮮半島が平和に向かい始めたことは本当に喜ばしいことである。

 ただ、このニュースなどを見聞きしていて感じさせられたのは、日本の報道が具体的なことが決まっていないことを取り上げて、成果を出来るだけ低く評価しようとしていることである。どうも日本はこの地域が平和になって、アメリカの勢力が弱くなることを恐れ、また日本が話し合いの蚊帳の外におかれることを懸念しているようである。この国はやはり完全な独立国ではなく、今だにアメリカの従属国である悲哀を感じざるを得ない。

 北朝鮮が核やミサイルの開発を進め、アメリカが最大限の圧力をかけると言っていた時には、安倍首相はそれに乗って先頭に立って「最大限の圧力を」と叫び続けており、アメリカが一時会談を中止すると言った時には、他の国が心配して何とか会談に漕ぎ着けようとしたのに、日本だけがそれ見たことかと言わんばかりに、早速会談中止を支持し「最大限の圧力を」と繰り返したことが日本の姿勢を端的に表しているようである。

 ところが、その後トランプ大統領が交渉を成功させようと考え直し、「もう最大限の圧力という言葉は使わないでおこう」と言い出すと一人浮き上がってしまったことになってしまった。この米朝会談の流れには韓国はもちろんだが、中国も関与しており、事前に金主席は二度も中国を訪問しているし、シンガポールへの飛行機も提供している。ロシアも絡んでいるようだが、日本だけが蚊帳の外へ置かれかねない。

 そんなこともあって、安倍首相がトランプ大統領に頼んだのが北朝鮮による日本人の拉致問題である。本来拉致の問題は日本と北朝鮮の2ケ國間の問題であり、この会議の中心的な課題ではない。拉致問題を絡ませて何とか日本もこの流れの一翼に乗せてもらおうとしたのであろう。

 拉致被害者の家族たちにしてみれば、これまでどれだけ政府に頼んでもラチがあかなかったので、もう日本政府はあてにならないと困り果てていたところなので、今回トランプ大統領金正恩委員長に会うのであれば、この機会にぜひ大統領に頼んでなんとかしてもらおう、もうこれが最後の機会だと悲壮な覚悟だったのであろう。拉致被害者の家族からすれば、もうトランプ大統領にしか頼るところがないのである。

 日本政府はこれまで拉致被害者の家族の痛切な願いを無視して、真剣に連れ戻す試みをせず、長期に渡って殆ど直接交渉をないがしろにして無駄に時間を空費したまま、拉致問題を政治的にのみ利用してきたのである。今回も、またもや自分たちの努力を後回しにして、トランプ大統領拉致問題を訴え、政治的に利用しようとしているのである。最早手遅れの感がないでもないが、政府は当事者でない米国に頼むよりも、一刻も早く北朝鮮と直接交渉して拉致問題を解決すべきである。

 米朝首脳会談に関する一般の人々の感想や意見を見聞きしても、最近の次第に緊張を高めてきている周辺世界の不安の中で、最大限の圧力ばかりを唱えてきた政府には最早この問題の解決の力がないことを知り、日本政府はあてにならず「トランプさんならやってくれるのではないか」と期待している声が聞こえてくる。自国の政府ではあてにならず、親分のアメリカ政府に頼らねば解決出来ないのではないかというのも情けないことであるが、やはりこの国は今だにアメリカの属国なのである。