八十歳からの体操

 もともと私は運動が得意ではなかった。その上、ガニ股で歩く格好が悪かったのか、中学校に入学して最初の体操の時間に「正常歩」といって並んで歩かされた時に、先生に歩き方が悪いといって列から摘み出された。

 正常歩というから普通に歩いたら良いと言われて歩いたのに、歩き方が悪いと言われても、どう直せば良いのかも教えてくれず、全く納得がいかなかった。それが大きなトラウマとなって、余計にスポーツや運動から距離を置くようになった。教師は気をつけるべきである。

 そんなこともあって、学校でも課外のスポーツクラブにはどこにも入らなかったし、以来ずっと自らスポーツをやろうとも思わなかった。やらないので益々スポーツは何も出来なくなり、運動は強制された時に仕方なしにやるようなものになっていた。

 従って、社会人になってからも野球やテニスはもちろん、ゴルフも再三誘われたが、遂にせずに通した。こうして、スポーツや運動には縁のない生活を送ってきたが、歩くのは好きで、ハイキングにも出かけたし、暇があればあちこち歩きもした。山歩きにもいった。定年を過ぎて産業医として市内の会社へ勤めるようになってからも、わざわざ半時間ぐらい街を歩いて通勤したりした。

 ところが八十歳で毎日の仕事を辞めてから時間も出来たし、女房も歳をとってきたので、二人で相談して朝のテレビ体操をすることにした。初めはずっと続けるつもりもなかったが、二人で始めたのが良かったのか、以来ずっと続いている。体操自体よりも、朝の生活の区切りになり、規則正しい生活を始められるのに役立っている。

 こうして、四、五年経った頃だろうか、ある朝テレビ体操のついでに、何の気なしに腕立て伏せをしてみたら何と一回も出来ないではないか。腕に力が入らず、体が持ち上がらない。こんな筈ではなかったと思いやり直してみても、曲げた腕で体を支えるだけが限界で、腕で上体をを持ち上げることが出来ない。

 これではいけない。アイソメトリックの要素が強い運動も加えなければと思い、それからテレビ体操をする前に腕立て伏せをするようにした。毎日繰り返していると、次第に回数を増やして出来るようになり、十回出来るようになったら嬉しくなって、しばらく続けたが、また少し回数を増やし、やがて二十回とし、最近は「おまけ」を加えて二十五回にして続けている。慣れとはえらいもので、 初めは頑張ってやっと出来たものが今では楽に出来るようになった。

 今や仕事に行っているわけでなく、時間も十分あるので、こうして運動に興味が出てくると、その時々に得られたいろいろな情報が参考になり、自然と腕立て伏せだけでなく、色々なものが加わり、いつの間にか自分流の運動メニューが出来て、今ではテレビ体操の前に二、三十分それをやって、それからテレビ体操をするのが、朝の日課になっている。

 先ずはどこでも良く見かける下肢のストレッチと、カウチの下に両足を突っ込んで上体を起こす運動が加わったが、その頃、テレビで何センチの高さの椅子から片足で立ち上がれるかという運動テストを知り、やってみるとなかなか難しくて出来ないので、サイドテーブルに浅く腰掛けて片足で交互の立ち上がる運動も加えた。

 次には、テレビで相撲を見ていて、日馬富士の仕切りの低く踏ん張る姿勢と、琴奨菊の仕切り前のふんぞり返るような動作が面白く、それらを十回繰り返すのを取り入れたり、相撲体操というのを知って、腰を下げた姿勢で両腕を動かす動作をした後、四股を踏む動作も取り入れた。

 また、その頃心筋梗塞を起こして入院、ステント治療を受けたが、そこでリハビリに椅子に座ったり立ったりする動作を学んだり、医師会の勉強会で運動のトレーナーの人からゆっくり膝を折って体を低くする動作をゆっくりするのが良いことを教わったりしてそれらも取り入れた。

 更には、ある時田舎へ旅行した時、和式便所を使わねばならないことがあったが、長時間屈んでもおれず、容易に立ち上がる事も出来ずに難儀し、それに懲りて、スクワットの後に蹲踞を加えたりもした。その他にも人の勧めや、何かの情報を取り入れたりして今のメニューが出来上がった。これらを時間の関係で全部こなしたり、一部だけでテレビ体操に移ったりしている。

 以上が私が毎朝やっている体操のあらましであるが、その効果はどうかと思われるであろう。私はもともと体は柔軟な方だと思っており、足を揃えて直立した姿勢で上体を前屈した時に、両手の掌が地面についていたが、九十になる今でもそれが可能である。最近は肩こりや腰痛が全くない。これらのことはテレビ体操のおかげではないかと思っている。

 しかし、それより有難いことは最近転ばなくなったことである。八十過ぎてから年に何回かは道を歩いていて、何かに躓いたり、躓かなくても転ぶことがあり、ステッキを持つようになったが、あまり気がつかなかったが、最近は全く転ばなくなった。勿論そんなことを言っていたらその内にまた転ぶかも知れないが、有難いことである。このような運動を続けている効果であろうかと思っている。

 時々転倒する経験のある老人方には是非お勧めしたいと思っている。

 

 

 

日本の女性よ、声をあげる時だ!

 ご承知のように昨年あたりからアメリカで有名な監督がセクハラで女性から告発され、それがきっかけで次から次えとセクハラ被害にあった女性が声をあげるようになって、 #Me Too運動としてアメリカだけでなく世界中に広がりを見せていおり、韓国でも言われているそうだが、日本ではなかなか盛り上がらないようである。

 丁度そんな時に、伊藤詩織さんという若い記者が就職の依頼で、元TBSの記者で安倍首相の伝記を書いた山口敬之氏から準強姦されるという事件が起こった。酒の上でホテルに連れ込まれて性的暴行を受けたらしく、彼女が告発し、逮捕令状まで出て、警官が空港で出迎えて山口氏を逮捕することになっていたのに、突然警察の上司からの命令で逮捕が見送られ、不起訴となったそうで、官邸からの差し金で事態がいがめられたのではないかと言われている。

 彼女は自分から名乗り出て、検察が取り上げないので、”Black Box”という本まで書いて告発しているが、返って種々な嫌がらせなどもあり、今はロンドンに避難しているとかである。はじめは日本の週刊誌などには絶好のネタだと思ったが、予想に反して日本のメディアは政府に忖度してかほとんど報道しない。

 しかし、アメリカやヨーロッパでは広く取り上げられ、ニューヨークタイムズなどでは一面と八ページを使って大々的に取り上げ、山口氏への聞き取りまで行い、セクハラ問題の日本の後進性が非難されてもいる。

 このような世界的な#Me Too運動の広がりから見ても、安倍首相との関わりを別にしても、日本でもこれに呼応して、セクハラに対して女性が声をあげる絶好のチャンスだと思うのだが、日頃元気な女性たちはどう思ってられるのあろうか。こういうまたとない世界の潮流を見て、それを利用しない手はないと思うのだが、どうなっているのであろうか。

 まだまだ男社会の日本では未だに被害者である女性が返って落ち度を非難されたりして男性が罰せられることが少ない状態が続いているが、こういう機会に世界に和して声を大に叫ぶことが、特に遅れたこの国の男性社会の老弊を打ち砕いていく一里塚になると思うのだが、どうだろう。

 私も心から支持する。日本の女性よ、このMeToo運動にも乗っかって声をあげよう。皆でもうセクハラを黙認する時代の終わったことを知らしめるべきではなかろうか。

 

オリンピックの商業主義を打破しよう

 ここのところテレビはオリンピックばかりである。まるで世界は平穏無事で他には何もニュースがないかのようでさえある。羽生選手やその他の金メダルの選手などの演技は素晴らしい。人間としてあそこまでできるのか感心させられる。小平選手の友情も立派だ。共感する。

 ただ、同じ時間のニュースで同じ演技を二回も見せるのはちょっとやり過ぎだろう。ロシアの二人の若い選手の演技のような素晴らしい外国の選手の美技などももっと多く見せて欲しいものである。

 しかしそれはそうとして、どうして平昌のような寒いところでのスキーのジャンプを真夜中の誰も観客もいない所でやるのだろう。オリンピックの奇妙に歪んだ姿もかいま窺い知ることが出来た。

 世界のメディアから多額の金を貰うなどで商業主義に侵され、アメリカやヨーロッパの放送時間の都合などでこういうことになっているらしいが、本来競い合う選手が中心であるべきオリンピックからいえば、全く本末転倒である。折角参加している選手や観客に礼を失すること甚だしいと言わざるを得ない。

 同じようなことは既に2020年の東京オリンピックについても言える。高温多湿の極ともいわれる日本の7月末から8月にかけて運動競技をするなど正気の沙汰とは言えない。それを政府はIOCへの立候補ファイルでは「この時期の天候は晴れる日が多く且つ温暖であるためアスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と言って立候補しているのである。

 是が非でも誘致したい気持ちはわかるが、誰が見てもあまりにも見え透いた嘘をよくもここまでつけたものだと感心させられる。実際にオリンピックの時にはどうするつもりなのだろうか心配になる。室内競技は冷房で何とか凌げても、マラソンや屋外競技などはどうする積もりなのだろう。およそ運動競技などする季節ではない。見物に行くだけでも暑くて大変な時期である。

 繰り返すが、オリンピックなどの競技は本来観客よりも選手の都合に合わせるべきものであろう。選手が最も良い条件で運動出来るように環境を整備して届けるのが主催者の義務である。それが今では金に物を言わせるメデイアや産業界の発言力が強苦なり、それに政府や本部が乗っかって、本来主体であるべき選手不在の商業主義がまかり通っている。

 そのため誘致一つについてもいま述べたような虚偽の陳述が通るし、裏工作などがまかり通り、2020の東京大会でも誘致合戦に賄賂が動き、シンガポールかどこかで収賄罪が摘発されたと報道されている。

 ここらで本来のオリンピック精神に戻って、選手中心の大会にして、規模を縮小し、国別対抗などをやめ、世界から選ばれた個人または団体の対抗スポーツの大会として再出発するのが良いのではないかと思うがどうであろう。

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いよいよ危ない安倍内閣

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 北朝鮮の核開発に対する安倍内閣の対応を見ていると本当に危なっかしい。

 北朝鮮問題をフルに利用して武器を買い、自衛隊の戦力を増強するだけでなく、危機感を煽って国民を不安にさせ、憲法改正にまで持って行こうとしていることは最早国民の皆が知っているところである。

 安倍首相の発言を見ていると、この危機に対する対応の仕方に極めて危険なものを感じる。まかり間違えれば、核戦争にもなりかねないこの状態の時はもう少し慎重にしてもらいたいものである。

  北朝鮮の側から見れば、朝鮮戦争がまだ終わっておらず、休戦協定を結んでいるだけで、米韓合同演習で絶えず脅かされ、外敵に備え、独立国家を維持していくための唯一の拠り所として開発してきた核兵器北朝鮮が簡単に止めることが出来ないことは明らかである。圧力だけでこれを止めることは考えにくい。圧力が極端に強まれば勝算がなくとも戦争になる可能性が高いことは、過去の日本が起こした太平洋戦争を見てもわかる。

 困難で時間がかかるにしてもその解決には話し合いしかない。当然韓国もなんとか話し合いに持って行こうと努力しているし、アメリカも圧力とともに話し合いの余地も残しているのに、安倍首相が一人圧力一辺倒を主張している。万一戦争にでもなれば朝鮮半島での戦争には止まらないことは明らかである。アメリカの基地があり、かっての朝鮮戦争の時日本が米軍の基地としてフルに利用されたことを思い出すべきであろう。

 しかもアメリカは具合が悪くなれば引き上げられるが、日本は本土であるからそういうわけにはいかない。韓国だけでなく日本が戦争に巻き込まれることは必定である。

ただでさえ、こういった状況にある時に、安倍首相は勇ましすぎる。「坊ちゃん」というのは一般に怖さを知らないので、空元気で勇ましいことを言い勝ちなものである。

 最近の政府の動向を見てみると、先に進水したヘリコプター空母を改良し、垂直離陸が可能な戦闘機を搭載するようにし、長距離用のミサイルをそれらの戦闘機に積んで敵基地を攻撃出来るように具体的に進めている。その上で、安倍首相は国会で、上の新聞記事のように、先制攻撃の方が圧倒的に有利だと、勇ましいことを言っている。

 先制攻撃をすれば、どういうことになるか分かっているのだろうか。先制攻撃すれば当然反撃があり、戦争になることは必然である。アメリカのいう「鼻血作戦」などが成功する確率は少ない。米軍がいても反撃を止めることは出来ないし、戦争となれば、米軍はアメリカのために動くものであり、不利とあらば太平洋戦争の時にマッカーサーが「また帰ってくる」といってフイリッピンから撤退したのと同じようなことになる可能性もある。

 もともと、日本の国土は外からの攻撃に対して脆弱である。迎撃ミサイルを全て防ぐことは不可能である。日本海側にある福井県原発は海辺の地上に固定され、動かすことが出来ず、おまけに破壊によって放射能を撒き散らすことになる。攻撃は容易だし、攻撃されれば、それだけで関西地方は全滅、莫大な人間が被害を受けることになる。戦争が起これば、勝とうが負けようが先の大戦よりも悲惨な破滅となり、何千万人レベルの犠牲者が出ることも間違いない。

 ここは何としても戦争を避け、平和的な解決をするより方法のないところである。実際にどのような経過を辿っていくのか、まだ未来は不透明であるが、無能な首相にはもうお引き取り願って、何とか東アジアが戦禍を免れ、この北朝鮮問題が平和的に解決することを願って止まない。

 

 

 

老眼の生活

 若い時には私は遠視であった。視力テストで2.0まで読めたので、視力に関しては誰にも引けを取らないという変な自信を持っていた。もちろん、若い間は伊達のサングラス以外は、眼鏡を必要とすることはなかった。ところが三十も半ばを過ぎた頃、何かのきっかけで友人が見える遠方の物が自分にははっきりしないことが起こりショックだったことがあった。遠視の方が調節力が弱く、初老性近視になり易いことを知らされた。

 四十五歳ぐらいになると、次第に近視の程度が強くなり、眼鏡を作ったものの、近くはよく見え、辞書の細かい文字でもよく読めたので生活に不自由はなかった。ただ電話をかける時や本を読む時などには眼鏡を外さなければならないので、つい眼鏡を置き忘れて探し回ったり、新しい眼鏡を作り直さなければならなかったことが起こった。

 それほど強い近視ではないので、眼鏡がなくても普通に行動するのにさして困らなかったので、眼鏡を置き忘れてもすぐに気がつかないので、発見が遅れることに繋がった。明るい所では気が付きにくく、ホテルのロビーなどの薄暗い所へ行って初めて気がつくようなことになるわけである。

 こんな経験もあった。電車がターミナル駅についたので、読んでいた本を閉じて慌てて電車を降り、大勢の人たちと一緒に裸眼でホームを歩いて行くと、薄暗いので眼鏡がないと、全てがはっきり見えない。まるでSFの世界に入り込んだようであったのを覚えている。前も横も大勢の人が動いて行くが、まさにピントの合わない映像そのままで、さっさ、さっさと通り過ぎて行く茫漠とした未知の大きな流れの中に放り込まれたようで、ふと恐ろしさを感じたのであった。

 夜になると、近眼は余計に見えにくい。暗闇にはっきりと映し出される月や星も裸眼では最早その輪郭ははっきりしなくなってしまった。子供の頃、ある本に近眼の子供が「月が二つに見える」と言ったことが書かれたのを読んだ時には、月が二つに見えることをどうしても実感出来なかったが、今やどう工夫してみても、裸眼では月はボケた月が二つ重なったようにしか見えなくなってしまった。

 その代わり、二つが重なってぼんやりするので、それだけ大きく見える。そんなものだと思っていたら、望遠鏡でピントを合わせてはっきり見えた月がこんなに小さいのかと驚いたことがあった。また、空港に近い我が家では、宵の明星と飛行機の区別に迷うことがあった。金星もどう見ても二つに見えるので、しばらく眺めて動くか動かないかでしか判断出来なかった。

 こうした老眼の上に、五十代の後半になると、今度はストレスによる左目の黄斑浮腫が起こった。これについては以前に書いたことがあるので詳細は避けるが、片方の目にしか来ないと慰められて安心すると、暇があれば良い方の右目を閉じて左目だけで見た世界を楽しんだ時期があった。黄斑浮腫のために平行線も視野の真ん中ではくびれて狭くなるし、向かうから来る人が六頭身でも、視野の中心に頭部を合わせるので八頭身に見え、密かにほくそ笑んだりしたものであった。

 しかしその頃になると、目の調節力の衰えは歳とともに次第に固定焦点のようになって来て、近くも見えずらくなってきて、バリラックスのような遠近両用の眼鏡が要るようになって来た。焦点がいくらか遠くに固定されているようで、どちらかというと遠方視の方がまだマシなので家の中などでは眼鏡なしで暮らせるが、本や新聞を読むには老眼鏡が必須となった。

 そうなると今度は老眼鏡をつけたり外したりしなければならない羽目になる。家の中で動き回るとあっちやこっちで老眼鏡がないと用が済まないことになる。ところが着けたり外したりする老眼鏡は置き忘れたり、無意識にかけたまま動いたりで、その度に行方不明の眼鏡探しを繰り返さなければならなくなる。

 困った上で一計を案じて、百円ストアなどで安い老眼鏡をいくつも買って来て、どの部屋にも老眼鏡があるように整えた。これで安心と思ったがそうもいかない。家の中では衝動的にあちこち動き回るので、それにつれて着けていた眼鏡も一緒に動くことになる。その結果、ある所では重なって、ある所ではやっぱりないことになる。

 大分助かりはしたものの、やはり眼鏡を求めて階段を上ったり降りたりすることがなくなることはない。もう今では諦めて成り行きに任せている。時々整理し直せば良いだけである。

 こんなことをしながらますます歳を取ってしまったが、視力はますます悪くなるばかりで、その上、今では白内障の気も加わったのか、新聞などを読むのに女房が薄暗いところで読めるのに、私は照明を明るくしないと読めないし、上記の黄斑浮腫の後遺症で今では左目には中心暗点があって見えにくく、右目単独で見ているようなものなので立体感覚も乏しくなっている。

 単眼で見ているようなものだからか、眼鏡などを探す時にも、メガネケースが同じような色をした椅子の上にあったりすると、そこを見ていても気付かず、他をあちこち探し廻っても見つからず難儀するようなことも起こる。

 それに小さい文字がますます読みにくくなり、折角スマホを使い出したが、字が小さいのでつい敬遠しがちになる。たまの仕事で時に見なければならない検診結果の一覧表など細かい字だぎっしり書かれたようなものを見る時には拡大鏡を使っているが、読むのに一苦労するし、疲れるようになった。

 また、新聞や本などを読んでいても、読み違えることが多くなり一瞬「アレッ」とびっくりすることがある。「拾う」を「捨てる」と読んで驚いたり、「伝う」が「云う」になったりする。左目の中心暗点も絡んでいるようで、真ん中が抜けて「中村様」が「中様」になったり、「北里大」が「北大」に変わったりする。

 昨日は「相棒は死亡によって開始する」と書いてあるので何のことかと見直してみると「相棒」でなくて「相続」のことであった。

 それでも目の見えにくいことも悪いことばかりではない。六頭身の人が八頭身に見えるのもそうだが、それ以外でも、いつも通る最寄りの駅の屋内通路の事務所の入り口に鉢植えの植木が置かれているのだが、いつも遠くから見るとそれが人に見え、しかも枝の伸び具合でちょうど人が扉の鍵を開けようとしている姿に見えるのである。

 初めにはてっきり本当に人物が事務所の扉を開けようとしているところだと思ったが、いつ通っても遠くから見ると同じように見え、近づいて植木だとわかるのだが、それが判ってからは通るたびに同じ変化を確かめながら 通り過ぎるのが楽しみになっている。

 その他にも、家の近くの河原を時々散歩するのだが、ここでも老眼は時に思わぬ楽しみを提供してくれる。前方に人がうずくまっているので釣りでもしているのかと思って近寄ったら流木であったり、あんな所に白鳥がいるのかなと驚きながら近づいて見ると流されてきた大きなビニール袋が河原の木の枝に引っかかっているだけのことだったりする。時々いろいろ想像を逞しくさせてくれことがあり、散歩に楽しみを加えてくれている。

 もう今更視力が回復することはないが、多少の不便はあっても、老いらくの身にはさして困らない。このままでせいぜい楽しく過ごさせて貰おうかと思っている。

 

 

 

 

 

 

検診結果など細かい字でいっぱい書かれている法的な説明など

使用法など詳しいことは細かい字で書かれているので読む気がしない必要なときは拡大鏡  最近はメガネ型の拡大鏡あり、愛用している

 

木が人に見える  てっきり人がいると思って近づいたら広告だったり郵便ポストだったり

白いごみが大きな白鳥に見える

 

レイハラ

 

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 以前にヌーハラという言葉がヌードルハラスメントのことだと言われても、ヌードルハラスメントとは何のことかわからなかったことを書いたことがあるが、今度はレイハラだという。今度はハラはハラスメントだとすぐ想像出来たが、さてレイとはなんだろうかと一瞬迷った。レイシャルハラスメントのことであった。

 最近はSNSの影響なのか、外国語から来たカタカナ日本語をさらに縮めていう言葉が流行るので、なかなかついていけない。民族的偏見とでも言ってくれればわかりやすいが、レイハラなどと突然言われてもすぐには何のことかわからない。漢字熟語の略語なら表意文字なので、およその見当はつけやすいが、耳慣れないカタカナでは想像のしようもない。

 それはともかくとして、この民族的偏見、すなわちレイハラは、見つけたものを二、三冒頭に掲げたが、これはほんの一部で、FBなどの書き込みを見ると、まるでこれでもか、これでもかというぐらい、韓国や中国についての悪口雑言が目につき、最近は目に余るほどひどくなった来たような気さえする。

 しかし中国人や朝鮮人に対する蔑視的な発言や行動は今に始まったことではなく、戦前から戦中にかけてのレイハラは今よりずっとひどいもので、関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件のようなこともあったし、我々が子供の頃は、日本が朝鮮半島を植民地にしており、支那事変と称して中国への宣戦布告なき侵略戦争をしていたこともあり、中国人をチャンコロ、韓国人をチョーセン、もしくはセン人(賤人)などと公然と呼び、日本人より一段下の人間として扱っていた歴史がある。

 今の「慰安婦問題」も強制があっただの、なかっただのの手続きの問題などではな

く、元はこんなところに根ざしていることも知っておくべきであろう。戦後に「ニギリシュパワー?」と言って一斉に日本人が追われたのはその劣悪な植民地支配からの解放の声であったことも忘れてはならない。

 それに対して、敗戦後であっても日本は同じ外国人でも占領軍や欧米系の外国人と区別して、あからさまには卑下しては呼べないので、第三国人という言葉を作って、特別な存在として扱い、何かにつけて非難の対象としてきた。それでも世界情勢の変化に伴って、一時は少なくとも表面的には敗戦までのような蔑視は多少影を潜めていたが、日本社会の右翼化が進むとともに、この数年ばかりで再び酷くなってきている。

 中国が経済的に日本を追い越し強大化してきたことへの妬みの感情も含まれているのか、尖閣諸島などの国境問題も絡み、アメリカの虎の威を借る狐のように何かにつけて中国を悪く言い、韓国に対しては昔の植民地支配に対する反発に対して謙虚になれず、優越感を感じたいかのように振る舞い勝ちになっている人たちが多くなってきているのが現状であろう。

  アメリカの戦略に乗せられた政府や右翼の宣伝などの影響もあって世論調査などで見ても嫌中、嫌韓の人が多いが、現実のアジアの動向を見ても最早日本が先進国で他の国を見下せるような情勢ではなくなってきている。間違えれば、日本が置いてきぼりをくってアジアの孤児になっていく恐れも考えておかねばならない時代が近付いてきているとも見ねばならないのではなかろうか。

 遠いアメリカより近くのアジアがより重要であることは当然であろう。近いだけに交流も盛んになり、韓国や中国の実情が次第に多くの人に知れ渡ってくるに従い、偏見も次第に変化していくのではなかろうか。交流が盛んになれば、矛盾の大きくなる面も出来ようが、理解も進み知らないための偏見は減るであろう。

 どこの国でも文化は違っても人としての価値観は広く共通しているものである。どこの国にも良い人もいれば悪い人もいる。日本人も島国に閉じこもらずもっと積極的に、近隣諸国の人たちと交流すれば、お互いの理解が進むであろう。

 かって韓国から来た夫妻をもてなしたことがあるが、韓国語と日本語ではよく似た点が多いし、孔子の漢字で書かれた碑文を、それぞれの言葉で、一緒に読むことが出来、初対面であったが、たちまち打ち解けた経験がある。

 レイシャルハラスメントはセクハラより先に問題にすべきことである。お互いの国民の交流を盛んにして、個人レベルでの知人を増やすことが一番良い方法ではなかろうか。出来るだけ多くの人たちが、隣国の人たちと交流して、精神的に島国から抜け出して、近隣諸国とのもっと広い世界で多くの人たちと友人関係を結ぶのが良い方法ではないかと思う。

 

 

いかに最期を迎えるか

 超高齢化社会で百歳まで生きる人が多くなって、これまで強いて避けてこられた「いかに死にたいか」「いかに死ねるか」が多くの老人たちの大きな問題となって来た。

 一昔前までのこの国では、一人の老人を大勢の家族や近隣の人たちで支えて来たので、老人は家族なり、周囲の人たちに見守られて死ぬことが多かったので、自然の成り行きに任せておけば安らかに往生出来るのが普通であった。

 もちろん全ての人がそうではなくて、姨捨山の伝説もあるが、その場合も息子なりの家族が遺棄の役割を果たしており、また昔でも中には一般世界から離れた孤独な老人などで、行路病人の死として処理されるような場合もあったであろう。

 そういう社会では、多くの場合、死に逝く本人が自分の死についてそれほど考えなくても、周囲の人に任せておけば、自分がどのような経過を取ろうが、適当に処理してくれるので、生前から死についてそれほど深刻に考える必要もなかったのではなかろうか。

 しかし最近のように「むら社会」が崩壊して、人々がバラバラに孤立化し、しかも少子高齢化社会で親類縁者も減り、平均寿命が延びて、孤独な老人が増えると、自分の最後を見守ってくれる人が周囲になく、歳を取っても自分のことは自分で決めて処理するより仕方のない場合が増えてきた。

 社会的にも老人が多くなると、医療などの設備も相対的に不足するし、経済的にも老人医療の維持が困難になる。介護を頼める家族や近隣社会もなければ、社会的な対策も間に合わなくなる。そういう社会で死に直面した老人はどうすれば良いのか。これからの老人は嫌でも自らの死を如何に処理するかを自分で考えないわけにはいかなくなる。

 死は誰にも必ずやってくるものであり、全ての死が治療可能な病気に引き続いて起こるものではない。病院が全ての死を扱うわけには行かない。超高齢化社会ともなれば全ての老人を収容出来る老人施設を作るわけにも行かない。経済的側面からだけ考えても、出来るだけ多くの人には自宅で死を迎えてもらうより仕方がないのではなかろうか。

 しかし、問題なのは昔の自宅と違って自宅には本人以外に人がいないことである。いくら本人が自宅に留まることを望み、社会的にも、経済的にもそれが最善だとしても、孤立して存在し、生活の場である自宅の老人を収容施設や病院と同様に介護や看護することは出来ない。

 増え過ぎた老人を最後まで全て社会で看取ることが果たして出来るであろうか。老人は自ら己の死を他人任せではなく、自ら如何に迎え、如何に処理するかを考えなければならない時がやって来ているのではなかろうか。

 私は九十歳になるので最早いつ死んでも叶わない。何らかの病気が起こっても、治療は苦痛を取ること以外には最低限にしてほしい。体が不自由になっても、人の世話には出来るだけなりたくない。他人に全面的に身を任せることは避けて、最後まで自主的に暮らしたい。そして自宅で一人でよいからそっと死にたい。

 この1月に保守の論客であった西部邁さんが入水自殺して亡くなられたが、この人も生前常に病院で不本意な延命治療や、施設での介護などを受けたくないと言われていたようで、そのために家族に介護上の面倒をかけたくないということで、それも避けたいがための自死の判断だったということらしい。

 死後の処理や周囲への迷惑のことなどまで考えると、どのような方法が一番良いのかまだわからない。死後のことより生前の死の迎え方だけにしても、自分や周囲の条件に照らしてどうするのが最善か、人によっても異なるだろうし、死ぬこともなかなか簡単なことではないようである。