ガラスのテーブルの埃

 我が家のリビングルームのテーブルに表面が分厚いガラスで出来ているものがある。いわゆる応接セットの中の一つの低いテーブルである。その上に小さな敷物を敷いて花瓶などを載せているが、日が差し込むとどうしてもガラスの上の埃が光を反射するので、椅子の上などとは違って埃が目につく。

 ガラスの上でなくても、隙間から差し込む光を横から見ると必ず細かいチリが漂って見えるのと同じような現象である。同じ場所にあってもソファやキャビネット、ピアノなど光をそれほど反射しないものでは通常それほど埃に気付くことはない。それでもガラスのテーブルの上は埃は気になるのでつい拭き取りたくなるものである。

 女房がいつも朝方光がリビングに差し込む頃になると気になるようで、いつもそれを拭き取っている。光が差し込むので目立つだけで、テーブルの上でも椅子の上でも、見えないだけで、埃のたまりようはあまり変わらないだろうと思うのだが、女房は見える埃は気になると見えて、テーブルの上だけいつも拭き取っている。

 気になるだけで他のところだって同じようにそのぐらいの埃はいつだった積もっているものだから何もそう気にしなくてもというのだが、気になって仕方がないようである。

 今朝もまたいつものようにテレビのニュースを見ながらガラスの上の埃を拭き取っているものだから、「そんなに気になるのならカーテンを閉めて光を遮れば埃が見えなくなって良いのじゃないか」と言ったら、「それならもっと簡単な方法があるよ。目をつぶれば」と言われて「ギャフン」。確かにそれが一番良い方法かもしれない。

 

誤った過去の歴史を理解しよう

 最近のネットの書き込みを見ていると、あからさまな韓国や中国に対するヘイト発言や、あの惨めな敗戦で終わった日本が正しかったとして、もう一度大日本帝国の実現を望むような声までが大きくなっているような気がする。

 「教育勅語のどこが悪いのか」と開き直ったり、「在日韓国人は国へ帰れ」だとか、日本会議神社本庁が政府の中枢に入り込み、戦争を知っている世代が次第に消滅していくのに勢いを得て、ますます露骨な右傾化が進んでいる感じである。何かまた「戦争が廊下の端に立っている」戦前の雰囲気に似た感じさえ漂ってきたような気さえする。

 そんな中で先日、新聞に戦時中のアメリカにおける日本人の強制収容所送りに関する特別展がワシントンの中心部にあるスミソニアン国立アメリカ歴史博物館で開かれたことが載っていた。(朝日新聞2017.3.11)

 戦時中、約12万人の日系人が米国の市民権の有無に関わらず、敵性国人だとして全米10ヶ所の強制収容所に送られたが、1988年に半世紀ぶりにその誤りが認められ、大統領がそれを補償する法案に署名したと言う事実を示す特別展で「不正を正す」( Righting a Wrong)と言うパネルが貼られていた由である。

 そこで館長のジョン・グレー氏は「最も重要な教訓は、過ちが起きた過去を調べ、理解することです。それが未来における過ちを防ぐことにつながる」と話し、自分自身が向き合いたくないことについても、調べようという意思を持つことが大事だと言っているそうである。

 かっての大日本帝国朝鮮半島を植民地にし、中国を侵略したことは嫌でも否定し難い歴史的な事実なのである。南京の虐殺慰安婦の問題を今でも否定的に捉える人たちがいるが、これらはその過程で起こった事件であり、犠牲者の数や、強制であったかどうかより、もっと根本的で重大な問題のごく一部に過ぎないことを知らなければならない。加害者はすぐに忘れることができても、被害者は容易に忘れることができないことは広島や長崎の原爆を見ればわかる。

 直接戦争を知る世代が死に絶えてしまっても、事実は消えない。今や近隣のアジア諸国の発展は目覚ましく、もはや戦前とは全く様相が変わってしまっていることも理解すべきであろう。世代が変わっても、過去の歴史的事実を知り、それを踏まえ、その反省の上に、友好を図らねば近隣諸国との真の友好関係は築きえないであろうし、また、将来はそうでなければわが国の真の発展も望めないであろうことを理解するべきだと思う。

勝手つんぼ

 昔から老人は息子や嫁から「勝手つんぼ」だと非難されたり、野次られたりすることが多いものである。年をとると耳が聞こえにくくなることが多いものだが、大抵は全く聞こえないわけではなく、耳が遠い難聴といわれるものである。

 75歳以上の後期高齢者ともなると、半数が難聴になるといわれるが、静かな環境では聞き取りやすくても、雑音が入ると音が大きめでも聞き取りにくくなる。対面している人の話は分かっても、隣に座っている人の声は聞きづらいというようなことが起こる。

 自分が聞きたいことや必要なことはなんとか聞き取れても、どうでも良いことや重要度の低いことは余計に聞き取りにくく、老人はそんな場合は大抵聞こえたふりをしてご

まかすことが多いものである。

 若い人でも雑音の多い所や、雑音の入るスピーカーの放送などでは聞き取りにくく困ることもあるが、 耳に入ってくる音は脳によって選別されるので、注意すれば雑音の大きい放送などでも大事なことは聞き分けられて理解できることも多い。

 聴力は音の大きさや性質など、外部からの音の物理的な性質だけによるものではなく、耳に入った音が主として中脳の制御の元に処理され、皮質によって理解されるもので、音が意味のある言葉として理解されるまでにかなりな選択が働いているようである。

 年をとると実際の聴力の衰えの他に、この脳の処理能力もともに低下していることが多いようである。したがって雑音が入ると静かな環境下での場合以上に、老人は若者よりも聞き取り能力が落ちるそうである。

 最近の研究によれば、高齢者などでは、実は聴力にはまったく問題がないのに、脳が会話を素早く処理する能力が低下しているために聞き取れない場合ももあるそうである。 

 このように言葉の聞き分けには耳の聴力だけでなく脳の働きが大きいので「勝手つんぼ」も起こることになるし、若い人でも皆が一斉に「おはよう」と挨拶しても、好きな人の声だけがはっきり聞き取れたというようなことも起こるわけである。

 補聴器がメガネのようには役に立たないのもこの脳の働きによるものであろう。視力の場合にも、昔から「見えざるにあらざるなり、見ざるなり」といわれる如く、見る場合も目から入った情報が脳で処理されていることには変わりがないが、見る方は主に一瞬一瞬の空間的な情報を処理しているのに対して、聴く方は継時的な情報を処理しなければならない違いがある。

 その差が雑音の問題となり、補聴器がメガネほどには老人の助けになり難い理由ではなかろうか。メガネは対象を拡大すれば良いが、補聴器の場合は音を拡大すれば雑音も一緒に拡大してしまうからである。

 ある女性が耳の悪い老人が私らの声だけがとりわけ聞き取りにくいようなことを嘆いていたが、老人からすれば女房や嫁の文句だけが聞こえないわけではなく、年寄りの難聴は高い音ほど聞き取りにくいのが普通であり、あながち「勝手つんぼ」とは言えないものである。

 それにしても、「勝手つんぼ」は言う方にとって腹立たしいが、言われる方からすると半ば以上は意地悪でも何でもなくて、生理的とも言える老いのなせる必然の姿でもあるのである。若い人たちもそういうことも理解して対応してもらいたいものである。

 

 

ひ孫

 先日同じ年の中学時代のクラスメートに会ったら、初めてのひ孫ができたと喜んでいた。もうお互いに卒寿になるのだからひ孫ができても決して不思議ではない。

 私は初孫が出来たのが遅く、六十六の時だからひ孫はまだいない。もう少し待たねばならないだろう。それまで生きているかどうかわからない。そういえば父も九十近くになって友人には皆ひ孫がいるのにうちにはひ孫がいないと嘆いていたが、母はひ孫誕生に間に合ったが、父は遂にひ孫を見ずに亡くなった。

 昔だったら八十歳ぐらいになればひ孫も珍しくなかったのであろうが、近頃はそうはいかない。最近は一般に晩婚となり、初めての子供ができるのが三十歳ぐらいとすれば、六十で孫の顔が見れ、九十歳でようやくひ孫が生まれるぐらいの年周りということになるのかも知れない。

 その上、近頃は子供の数が少ないのが普通なので、それだけひ孫に会える確率も少なくなることになる。今や九十歳になっても、昔のように子や孫、ひ孫たちにまで囲まれて大勢の家族たちと一緒に長寿を祝い、記念写真を撮るというような幸運に恵まれる人も少なくなってしまっている。いつだったか小学校時代のクラスメートが大勢の子や孫に囲まれた写真を自慢そうに見せていたのが思い出される。

 現に私など卒寿といっても子供は娘二人、孫三人、義理の息子まで全部入れても、家族全員で九人にしかならない。しかも女房以外は皆アメリカに住んでいるので、いつもは子や孫どころか女房と二人きりで、この国には子も孫も一人もいない。そういう世の中になったのだから仕方がない。

 もはや孫の時のようにひ孫の誕生を期待することはないが、孫が結婚でもすれば、あるいはまたひ孫の誕生が待ち遠しくなるのかも知れない。しかし、おそらく孫の時と違って赤ん坊は可愛いであろうが、孫ほどには接触する機会も少ないであろうし、生活する世界も離れているので、より客観的な存在として見ることになるのではなかろうか。

 私も子供の時に九十六歳だったかの母方の曽祖母に会ったことがあるが、話す時に開いた口に長い歯が二本だけ残っていたのが印象的で、祖母とは違って、何か異世界の人に会ったような感じがしたことを覚えている。会ったのはその時一回きりであった。

 ひ孫が生まれても曽祖父の側から見れば血の繋がった赤ん坊なので可愛いであろうが、特に私の場合、孫とは密接でも、その子となると、会う機会も少なくなるであろうし、言葉も十分には通じないであろうし、孫のような親しい密な関係は無理なのではなかろうか。

 ただ、それでも孫に次いでひ孫が生まれることは我が命が将来に向かって繋がっていくことであり、やっぱりいつかはひ孫が生まれて命を繋いでいってくれることを期待したいものである。

 

 

 

五百羅漢

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 羅漢というのはお布施をするのに値する聖者のことだそうで、五百羅漢というのはお釈迦様に従って悟りを開き、釈迦入滅後その教えを広めた賢者たちのことを指すもので、室町時代以降全国のあちらこちらにその石像群が作られた由である。

 東京の目黒の五百羅漢寺も有名であるが、関西の方では兵庫県加西市にある羅漢寺のものは「北条の石仏」として有名である。私も以前に行ったことがあるが、五百羅漢というだけに沢山の石仏の立像が並んでいるが、その一つ一つの表情がそれぞれに違っていてエキゾチックな顔をしたものもあり、非常に魅力的で、その時撮った写真が今も私の書斎の片隅に飾られている。

 ところで最近、江戸期の卓越した画家として有名な伊藤若冲が晩年に住み、その墓まで残っている伏見の深草の石峰寺という所に、若冲が下絵を描き、石工に掘らせた五百羅漢があることを新聞で知ったので、興味を惹かれて先日女房と見学に訪れた。

 京阪電車深草駅で降りて東の方へ少し行くと、伏見稲荷の稲荷山につながる山があり、その少しばかり階段を上がった山裾に石峰寺はあり、唐門を潜るとお堂がある。昔は大きなお寺で宿坊まであったのであろうが、今は山門の中まで両側に普通の住宅が並んでいる有様で少し悲しい。しかし比較的最近建て直されたお堂はそこそこ大きく、その脇から裏山の方に登って行くと、起伏の大きい竹林の中にびっくりするぐらい多くの羅漢さんたちがあちこちにいろいろ特徴的な肢体をして散らばっている。

 昔は全部で千体以上あったそうだが、現存は五百二十三体だそうである。ここの五百羅漢の特徴は大きいものもあるが、多くは一メートルもない小さな像で、それも立像よりも坐像やそれに類するものが多く、若冲の遊び心を反映してか、元になるいろいろな形の石をその形に合わせていろいろな姿態に見立てて彫り、それに合わせた表情がそれぞれに個性的で一つ一つ異なっており、何か人懐っこい感じがして、ゆっくりそれらの像を見比べていると、いつまでたっても飽きない。

 風化しやすい花崗岩でできており、長年の苔なども絡んで輪郭が霞んでしまっているような顔のものも多いが、元々素朴なあら彫りなので、風化によって返って表情の豊かな風情が加わったものもあるのであろうか。

 二、三体が寄り添っているもの、一人でいるもの、大きな仏を中心に並んでいるもの、似たようなものが集まっているもの、個性的ないろいろな姿態のものが散在しているものなど色々で、よく見ると皆それぞれに特徴があって面白い。

 散在するこれらの羅漢さんたちを眺めていると、若冲さんがこの地に住み、長い時間をかけて、どんな思いでこの五百羅漢を作って行ったのか色々と思いを巡らし、想像しないではおれなかった。

 北条の石仏は明るい庭に立ち並び、それぞれの個性的な顔立ちに、似た人の印象を重ね合わせて見たものだったが、その陽気さとは違って、石峰寺の羅漢さんたちは木漏れ日の薄暗い所に、静かに並んだり離れたりして座っておられ、何だかより親しみを感じさせられ、またいつかもう一度訪れてゆっくり眺めながら対話したいような気にさせられた。

監視社会

 先日テレビのニュースで、どこかに家で犯罪があった後、警察が犯人を探し追求していった様子を聞いていて驚いた。犯行のあった家の写っている防犯カメラで、そこから立ち去る自転車を犯人の物かと疑い、自転車の行った方向の少し離れたところの監視カメラでその自転車を見つけ、更にその自転車の行った方向を追い、次々と同じようにして監視カメラで追って行き、遂にその自転車が止まり人が降りた処を確かめ、犯人を逮捕したということであった。

 最近は何か事件でもあると、必ずといってよいぐらい監視カメラの話が出てくるが、上のような話を聞くと、知らない間にもうすでにいたる所に監視カメラが張り巡らされていて、平素から市民の日常生活はすべて監視されていると言ってもよいようのではなかろうか。

 先日は警察が密かに怪しい車に GPSを取り付けて車の行くえを調べるのが合法化どうかなどの議論が裁判所で問題になっているようでもあり、知らないうちに車の走行も全て調べられているのかも知れない。

 また、これだけスマホやパソコンが流行り、クラウドなどで何もかも保存されるようになると、メールのアドレスさえ分かればその人がどんなことに関心があり、どんな人たちとどんなやり取りをしているのかすべた分かってしまうので、個人のプライバシーなどすべて破られてしまう。更にはマイナンバーシステムも確立されてきているので、その人の経済状態からその活動状況までいつでも調べることもできる。

 プライバシーの保護といっっても、民間人の間でのプライバシーの問題で、為政者がその気になれば、どの個人であろうが、すべての市民を監視し、その活動状況を把握すのは極めて容易になってきているのではなかろうか。

 こういう条件の揃ってきているところに「共謀罪」の疑いなどで絞り込みをかければ、政府の思いのままに、誰であろうと恣意的に市民を監視し、好ましくないものを排除したり罰したりするのに利用することも容易になるであろう。

 現在、国会でかって三回も廃案になった「共謀罪」が「テロ等準備罪」と名前を変えて提出され、議論されているが、もしこれが通れば、戦前の大日本帝国治安維持法の二の前どころか、遥かに容易に政府に都合の悪い人々を検挙することも可能になるであろう。まるでオーエンの小説「1984年」の世界になるのではなかろうか。空恐ろしい未来が待ち受けているような気さえする。

 

安倍首相にあげたい言葉

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 インターネットのサーフィンをしていたら、幕末の志士、吉田松陰の言葉が載っていた。「外に媚び、内を脅す者は天下の賊である」と。それだけの言葉なので、どういう文脈の中で言ったのかわからないが、丁度、今の時期に安倍首相に献上するのにあまりにもぴったりの言葉なのではなかろうか。

 吉田松陰といえば、安倍首相や日本会議神道政治連盟などの人々が憧れる大日本帝国憂国の志士として祭り上げてきた人物である。しかも長州の人だから安倍首相の同郷の大先輩にも当たる。安倍首相もぜひ知ってほしい言葉である。

 先日の日米首脳会談での安倍首相のトランプ大統領への媚びへつらい様はテレビで見ているだけでもこちらが恥ずかしくなるぐらいで、アメリカのTimes紙などもFlatteryと表現していた。

 フロリダでゴルフをして二日も一緒にいても、世界的に問題となっている大統領の人種差別的な入国制限などのついては一言も触れず、貿易不均等などの経済的問題では、日本の国民の社会保険の財源を使ってまでしてアメリカに大規模な投資を行い雇用を創設することを提案するなどとおべっかを使い、日米同盟の強化を謳って属國の朝貢外交に勤めていた様である。

 それに対して内に向かっては、沖縄の人たちの長年にわたる一致した願いを無視してあくまでも基地の移転を進め、憲法解釈を変えてまで安保関連法案や秘密保護法を成立させ、今は共謀罪をテロ防止と名前を変えて戦前の治安維持法の再来を期すなり、強引な政治を進めている。

 こう見ると、初めに掲げて吉田松陰の言葉がまるで今の安倍政権について言ったものではないかと思われるぐらいである。

 この国の将来を考えれば、凋落に向かうアメリカの一方的な属國として、このまま自立性を放棄し、周辺の国々に「虎の威を借る狐」の態度を取り続けることの危険性についても悟るべきではなかろうか。最悪なシナリオはアメリカがこれまで繰り返してきたBuck Passingのアジア版に巻き込まれることであろうと恐れる。